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空海が行く

俳句 猫 庭 のこと

やんぬるかな62 

やんぬるかな62  工藤泰子
 前回は、何が透けて見えるかと、次の句を紹介して終わった。
春寒し蛸せんべいに蛸透けて  涼野海音
涼野海音さんとは、浅口、倉敷、岡山の大会などで、よくお目にかかるが、なんと四国の高松にお住みである。その彼が、総合俳句誌「俳壇」の一月号に、「新・若手トップランナー①」としてそのトップに登場した。
プロフィール;1981年生まれ「火星」・「晨」同人、句集「一番線」、合同句集「関西なう」
第4回星野立子新人賞賞受賞等・・
本の記事は一ページ目には大きな写真やアンケートがある。〈参考までに〉好きな季語「雲の峰」、好きな食べ物「うどん」、影響された俳人「高野素十」、生れかわったら、なりたいものは「カモメ」・・次ページから、俳句、自身の文章「自得の文芸」が続き、評論の「涼野海音作家論」と七ページにも亘る。まず作品は、
   「晴れ男」
ペンの音より流星の音しづか
球場は森の明るさ鳥渡る
晴れ男きて蓮の実の飛びにけり
白菊の影わが影に重なれる
登高や亡き人の句をつぶやいて
夜の海へ傾いてゐる案山子かな
地図ほどの日向に木の実落ちにけり
開きたる手紙あたたか黄落期
丸善の入口に秋惜しみけり
枯菊を焚く湖のしづけさに
 
この中に浅口市俳句大会(十月)に参加された時の句「晴れ男きて・・」がある。表題にもなっているとは、嬉しいかぎりだ。その場所を知っている我らとすれば、晴れの国・岡山のシンボル天文台を遥かに仰ぎ、蓮の実の飛ぶ音を聞いている作者の視線に心を通わすことができる。それは宇宙へ飛び出す瞬間かと・・。
もう一つ、「球場は・・」の句は、岡山県俳人協会の護国神社吟行の時の句だ。たしか前会長の大倉祥男さんの選に入った記憶がある。護国神社の深い森の入口近く、球場では子供の野球チームの元気な声が聞こえる。明るさ!と簡単に言ってのけた様だが、深読みが出来る要素は盛り込まれている。
 さて、「自得の文芸」から“海音俳句”の秘密を探ってみよう。
 【私が初学の頃から実践していることは、毎日、俳句を詠む(あわせて他者の句を読む)、季語の現場に立つ、そして自分に正直に詠むことである。・中略・・
 そして季語の現場に頻繁に立っていると、安易に季語を変えて句を作り上げようという気持が、不思議にほとんど起こらない。】
 【読者や結社の傾向におもねるようなことは、今まで一度もなかった。師友の意見をヒントに、自ら徹底して考えることが、俳句を自得する上で大事ではないだろうか。・・・ここ十数年を振り返ってみると「俳句は自得の文芸」という言葉が、とても身に沁みる。
 今は失敗を恐れず、堂々とわが道を行くのみ。私のような凡人には、凡人なりの行き方がある。それが私の俳句である。】
 順番は後先になったが、俳句の魅力については、
【俳句の魅力は、シンプルさと奥深さ。この二つを体現しているのが、高野素十の句である。大学卒業後に入学した、通信制大学および通信制大学院で、四年ほど素十を研究した。左の句は「見たまま写生のような句だが、その奥にあるものを、今も追っている。
方丈の大庇より春の蝶  高野素十「初鴉」
ひつぱれる絲まつすぐや甲蟲
まつすぐの道に出でけり秋の暮】
 見たまま写生・・その奥のもの・・さてさてとても手ごわい。
鑑賞は谷口智行氏の「涼野海音作家論・『潜まされた利器』」の文章に委ねたい。
 長文なので、イントロとエピローグだけ・・キセル状態で、お許し願いたい。
    ※(イントロ)
  海の日の一番線に待ちゐたる   『一番線』
 句集『一番線』のタイトルとなった作品。想起する景として何処の「一番線」でもよいのだろうが、「海の日」に因み、潮の香りを匂わす駅の一番線を思い描いた。
この国に住む僕たちの心には、海の向こうからやって来る者(物)への期待と畏れ、信仰のような感情がある。この「一番線」は単なる歩廊の一つではなく、現世と他界の接点であり、その境界となる渚のような場所と見ることもできる。氏が「待ちゐたる」のは、他界から現世に帰り来る祖霊、遥かなる魂だったのかも知れない。掲句、彼岸的静謐に満ちた作品とも読める。
    ※(エピローグ)
春寒し蛸せんべいに蛸透けて   『一番線』
立春が過ぎ、春も深まって来たある日の居室。「蛸せんべい」の中に圧し延べられた蛸が透けて見えると詠む。窓から差し込む日差しは春なのにまだまだ寒い。そんな日の小さな発見。さて、鑑賞の余地は大いに残された。
作者の思念はけじめの付かぬほど「蛸化」されている。もはや対象としての蛸ではなく、まぼろしの女体のごとき蛸だ。思念は蛸を冒し、神をも恐れぬ狂気を以て交わる。これを敢えて幻想と呼ぶなら、幻想こそが実在と言える。蛸の透けた煎餅を見つめるという現実はすでに仮のもの、仮の世界で揺らめくともしびのようなものである。春光のほとりに移りつつ消えゆく心のまぼろし。孤独の凄まじさ。
  誰もゐぬベッドの上の蛍籠
(「俳句」二〇一六年九月号「短夜」)
  めとりたき人にどんぐり拾ひけり
(星野立子新人賞作品「手毬つく」)
  終点の灯に鬼の子の揺れやまず
(「俳句界」二〇一六年十一月号「父の机」)
 身近な生活的イメージの定着のさせ方が絶妙である。孤独こそが自己を成熟させる糧だと言わんばかりだ。しかも陰鬱な雰囲気がなく、読み手の心にぽっと灯を点す。淡々と感情を抑制することから来る倹しき日常への信頼、そこから生じる光。反骨の念など見せずとも、明日に向かう熱を存分に孕んだ若き俳人の光と言えよう。
 畢竟、涼野氏は抒情詩人である。そして抒情を知性によって抑制し凝縮して表現する。構えず、去なさず、突っ張らず、厚化粧せず、ひたすら「季語を通して」自己と向き合う。また自身の優しさ(テンダーネス)や羞恥心(シャイネス)を読み手に感じ取らせない。氏の言葉を借りれば、まさに「堂々と」、作品の中に自己を流露させている。さまざまな利器を潜ませた一種革命的と思われる氏の作品世界に心惹かれる所以である。
      ※
 俳句のみならず、エッセイ・俳論など、マルチな才能のドクター谷口の海音論は異次元の世界を覗かせてくれた。今年度の「ことばの翼「詩歌句年鑑」から、二句を紹介すれば謎は深まるばかりだが・・
  海底は沈木の森西ようず     谷口智行
  春宵の水甕健次の量(かさ)と思ふ  〃
 蛇足だが、昨年の運河俳句賞では、谷口編集長の二席を頂いた。身近なところにも俳句の種は落ちているものだな~~あ!     やんぬるかな!
  第23回運河俳句賞
   谷口智行選 第二席
    「八千草」  工藤泰子
きちきちの草叢の基地跳びだせり
古瓦積まれしまんま草の花
てつぺんに穂の付く木賊折りにけり
八千草に八百万の神おはします
青空へ継ぎ足してゆく蜘蛛の糸


Posted on 2017/02/27 Mon. 16:04 [edit]

category: やんぬるかな

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27

やんぬるかな61 

やんぬるかな61  工藤泰子

前回は、遥照の元会員、内藤吐詩朗さんの宝船の句を紹介した。
  寝返りにゆらぐ敷き寝の宝船 内藤吐詩朗
寝返りぐらいの揺らぎなら、七福神の乗った宝船も、にぎにぎと目出度く船出をしたことだろう。この句は届いたばかりの句集「風の友」から抽出した。
さて「風の友」には、どんな思いが込められているのだろう。早速、「風」を辞書で引いてみた。
①空気の動き。一般に高い方から引く方に向かう水平方向の空気の流れを言う。
②人に対する社会全体の態度。
③ならわし。しきたり。風習。
 内藤さんの俳句を鑑賞するには、その経歴も少し探っておきたい。第一句集「野風増」(平成二三年発行)のあとがきを参照した。
五一歳、大阪茨木市の「南風俳句会」に参加、その後、五九歳でアメリカに転勤されるが、投句は続けておられたとのことだ。六九歳で、生まれ故郷の総社市に転居、「吉備路句会」の発展に貢献され、現在は引退、「吉備野」に投句されている。
俳名「吐詩朗」は、岡山弁で、「ずぶの素人」のことを「とーしろー」というのに因んで、若い頃名乗られ、今日に至っている。詩を吐くように作るとは、まるで子規のホトトギスの様だ。お洒落でウイットに富んだ俳句が生みだされる背景には、こんな風土があった。
「野風増」というと川島英五の歌が思い出されるが、「♪いいか男は生意気ぐらいが丁度いい・・
野風増!男は夢を持て・・・♪・」
風狂と言えば、山頭火も風の人だ。
  けふもいちにち風をあるいてきた 種田山頭火
風狂、風雅、風流とかの「風」も気になる。
「詩経」の六義(「賦・比・興・風・雅・頌」)の一つに「風」がある。風が、物を動かすように、人を感化するところから、民謡は、「風」と呼ばれる。風を容れる器は風貌?の「風(ふう)」だ。好き勝手に田野をわたる風!野風道(のふんどう)のやんちゃな風も、だんだん風格が備わってくる次第である。
  鉄棒にいどむ子のへそ風光る  吐詩朗(野風増)
  枯蓮の百態の風匂ひけり       〃
  山しづか猟犬の耳ぴくりとす     〃
 これらの、反骨と観察の行き届いた句柄は魅力的だ。
いよいよ「風の友」の風を探ろう。ここにも、風光る!の句がある。風光る!この季語には、希望がある。ヘソにもうなじにも、未来がある。
おくれ毛の車掌のうなじ風光る 吐詩朗(風の友)
  飛花落花風に戸惑ひ狂ひけり   以下同じ
 風に戸惑うのは、桜の花びらだけではない。風に寄せる思いは複雑。
青麦にからみつつ風渡りくる
風そよぎ植田の四角きはだてり
 総社の風が見えて来た。青麦のしっかりとした穂に風はからみつき、真四角な植田には、真四角な風と色が見えて来る。
  帰省子の薄き口ひげ風やさし
 お孫さんの句だろうか!風やさし・・その口鬚の本人もやさしい人柄と見受ける。
音のよき道筋えらぶ風鈴屋
 風鈴屋と言っても、通りに面した構えで、引き売りではあるまい。エアコンの時代になっても、人は風を音で確かめたいものだ。風鈴の素材やベロの長さで、涼やかな音はチエンジする。人が通ると風が起る。
団扇の手かんがへてゐる風の筋
 何を考えているのか・・手筋というと、囲碁、将棋。心の内を見透かされないよう団扇の動きも微妙だ。
  平らかな風に泛べる蜻蛉かな
 蜻蛉の滑降は水平である。平らかな風が似合う。
ここまで風の句を見てきた。五年前になるが、岡山俳人協会の会報「烏城64号」に「風の周辺」という文章を書いた。その風の俳句・・・ 
秋風や眼中のもの皆俳句     虚子
焚くほどは風が持て来る落葉かな 良寛
玉島の曹洞宗・円通寺には、若き良寛像が立っている。寺も持たず、托鉢をして、生涯無一物で通し、大愚と号し「無能の生涯」と自身が言いながら、心、魂、宇宙、自然という世界には、最も醒めていた人「良寛」に惹かれ、詩人の【加島祥造・「老子と暮す」】の文章を引用した。
【心にはマインド mindとハートheartがある。
世俗に長けている頭の働きはマインドの働きだが、良寛のように鳥の音に耳を傾けたり、風の音に天地の移ろいを感じたりするのはハートの働きである。魂が自然と全一になり、無為自然の境地であるからだろう。】
良寛はまさしく風の人だ。その書「天上大風」の碑が、玉島のホールにある。大風は慈悲と仏教的に解釈している。
 句集「風の友」からも、自在で普遍的な心を感じることができた。
  妻の推す補聴器と言ふ春支度
  啓蟄や土のかをりの漢方薬
  啓蟄や厨に匙の落つる音
ただごとの中に物語のある句が並ぶ。漢方薬のおだやかな効き目と啓蟄の取り合わせも絶妙だ。匙の落ちる音は補聴器が捉えたのだろうか?
蠟梅のくるむ天日ふくらめり
 蠟梅の花びらはお日様を包んでどんどん膨らんで来る。馥郁とした香りに包まれやさしい眼差になる。
探梅のゆるき歩みぞ老いけらし
 老いけらし・・老いを見つめる姿勢がある。梅の香は、急ぐ人には届かない。ゆっくり歩けば、見えてくるものがある。風が運んでくれるのだ。

 さて、遥照の本句会や浅口市俳句大会で、お馴染みの四国の涼野海音さんが、「俳壇」一月号の新コーナー「新・若手トップランナー①」に登場した。
新作十句「晴れ男」、文章の「自得の文芸」を一読し、さすがはトップを走る人だと納得した。「涼野海音作家論」は運河の編集長、谷口智行氏が書いた。谷口氏の独特の作家論は、ふっと、違う俳句の次元を覗かせてくれて、俳句の楽しみ方の幅が広がるものだ。
春寒し蛸せんべいに蛸透けて  涼野海音
次回は、これらの記事を紹介して、何が透けてみえるのか?春の訪れを待ちわびたい。やんぬるかな!

Posted on 2017/01/24 Tue. 17:53 [edit]

category: やんぬるかな

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24

やんぬるかな60 

やんぬるかな60  工藤泰子
 「やんぬるかな」が60回になる。「遥照」は毎月発行なので、五年間休まず書いてきたことになる。最初に書いた「やんぬるかな1」は、こんな調子の“笑える力作”だった。少し振り返ってみよう・・。
「はひふへほー!」これはいったい何?子供に人気の漫画に出てくるのだが、何故「なにぬねの」ではないのかな。・・・答はやなせたかしさんの漫画「それ行けアンパンマン」のバイキンマンが登場するときの雄叫びだからだ。退散する時には「バイバイキン!」となる。人気の悪役キャラのバイキンマンは黴菌を撒き散らす「ハエ」だからハ行で・・。とこんな調子!
しかし、真面目に「いろは歌」も紹介している。
“色は匂へど 散りぬるを 我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず“
作者は、空海とも柿本人麻呂とも言われているが、47文字使い切って見事だ。47というと、おニャン子クラブ47名/赤穂浪士47士/AKB48は?一人多いのが狙いか?・・この号の文章は、漢字の【己んぬる哉。これからも日本語と俳句の間をうろつくつもりだ】で終わった。
 「やんぬるかな2」では、上から読んでも下から読んでも同じ=回文を紹介した。
虫置きし土間のその窓子規惜しむ  井口吾郎
   ポポンタポポンタタンポポタンポポ  〃
回文の傑作に「宝船」がある。初夢を見るとき枕の下に敷く縁起を担ぐもので、宝船(帆掛け船・七福神・米俵・宝貨)の絵が描いてあり、聖徳太子の作と言われている歌(回文)が添えられている。長寿、なみのり(実り)舟(不音)などの掛け言葉もあり高度な技術が駆使されている。
長き夜の遠の眠りの皆目覚め
波乗り舟の音のよきかな
ながきよのとおのねむりのみなめざめ
なみのりふねのおとのよきかな
 この様な言葉遊びも楽しいが、俳句を作るには、「季語」の力と魅力を理解する必要がある。
昨年一月、茨木和生著「季語を生きる」(邑書林出版)が出版された。第十一回俳人協会評論賞を受賞した「西の季語物語」(1997年)、「季語の現場」に続き“俳句の本質に迫る現場の声!”が届く本だ。まるで「社会学」「文化人類学」などのフィールドワークの様な行動力の先生は、環境問題にも向けられ、「吉野の桜」・「那智の滝」を守る会を推進されている。
出版にあたり、編集長の島田牙城(和生先生の高槻高校の教え子)が、「『続・季語の現場』という題ではいけません。『季語と生きる』では弱い。『季語を生きる』としたらどうですか?」と提案してくれたので、「・・いいねえ!」とこれに決まった経緯が、あとがきにある。
さて著書「季語を生きる」の「新年の季語」から、珍しい季語のいくつかを見てみよう。
【私(茨木和生)が詠んでいる新年の季語は七十ちかくあるが、生活様式がどんどんと変わってゆき、少年時代に体験していた行事や慣わしなどもずいぶんとなくなってきている。季語の「蓬莱」もその一例である。公団住宅やマンションに暮らしていたころ、「蓬莱」という季語で作句することなどはなかった。せいぜいが三方(さんぼう)に羊歯(しだ)を敷いて鏡餅を据え、昆布、串柿、橙を置く餅飾りをする程度だった。季語のある暮らしをしてみたいと思っても、時間的な経済的な余裕がなかった時代だったからである。
定年になって、時間の拘束から解放され、松の内の間に漁村や山村の民宿に泊まって吟行する機会に恵まれるようになった。正月の漁村に行けば、その集落の祭礼の神事宿である頭屋(とうや)の家を訪ねて、みごとな蓬莱飾りを見せてもらったりした。
   蓬莱の栄螺の吐きし潮かな  和生〃
   蓬莱の鮑の痩せを嘆きけり  〃】
 忘れられそうな古季語を甦らせる活動もしている先生だからこそ、出会える季語の現場!だ。次に
【正月ならではの季語「初詣」は神社や寺に出かけないと佳句を得ることはできない。しかし、表面だけ見ていると、類想、類似の句になってしまうのも「初詣」の句である。初詣に出かけていってそこで出会う「季語」を歳時記であらかじめ調べておき、その季語の現場に立ち会って句を作ることが大事である。・・中略・・私が季語「宝船」に関心を持ったのは、下賀茂神社や錦天満宮で実際に宝船を買い、それを枕に敷いて寝たという体験をしてからである。
  泥描きをしたる日輪宝船   茨木和生
  青々の直筆といふ宝船      〃  】
 今年の「ユーキャン新語・流行語大賞」は、「神ってる」だった。言葉を発したのは、広島カープの緒方監督だが、受賞したのは25年ぶりのリーグ優勝の「神がかっている!」シーンの立役者、鈴木誠也選手である。「神ってる!」とは、若者言葉なのだが、これで、完全に市民権を得ることとなった。スタジアムを埋め尽くしたファンの祈りが言霊となって天?に通じた結果だろう。神った鈴木の年棒は三倍増になったそうだ。
一方、サッカーのファジアーノは残念な結果に終わった。ボールがゴールを揺らすか掠るか?ピンポイントの神の計らい?今年の活躍を期待しょう。
 もともと日本人は慎み深いところが美徳であった。他人に向かって、あからさまに非難する「言挙げ」「言向け」はしない。なぜなら、言葉には呪力があり、声に出して言い立てると、他人を本当に傷つけることになると恐れていたからだ。万葉集の柿本人麻呂の歌に
「葦原(あしはら)の瑞穂(みづほ)の国は神(かむ) ながら言挙げせぬ国」がある。
その悪しき例として、「ヤマトタケルが伊吹山の神の出現に対して退治に出向いた時、 突然現れた白猪(実は神)を神の使いだと見誤り、素手でやっつけてやろうと「言挙げ」をした為、神の怒りに触れ、病に罹り命を落とす結果になった。」がある。
 
お正月には特に縁起のいい言葉が喜ばれる。子供時代の記憶に「おしし」がある。悪魔祓い、飢饉や疫病を追い払う獅子舞のことだ。ぎらぎら光る金歯を開けて、ガブリと噛むので、逃げ回ったが、「噛みつくと神が付く」縁起かつぎとは知らなかった。
獅子舞の来て村ぢゆうが動きだす  鷹羽狩行
舞ふ獅子の口にくはへし新紙幣   白神知恵子
獅子頭はづし携帯電話受く     馬場公江
  コイン切れ仕掛け獅子舞そつぽ向く 久松久子
 久松久子さんの句は、句集「笑って五七五」(滑稽俳句協会叢書)の句である。コインで動く獅子舞は「金」の切れ目が「運」の切れ目かと笑ってしまった。
 軽くも重くも軽みも深みも俳句はさまざま。
今年も目出度く始めたい。
  寝返りにゆらぐ敷き寝の宝船   内藤吐詩朗
  神官のこゑの歯切れや淑気満つ    〃 
 遥照の元会員、内藤さんの届いたばかりの句集から選んだ。次回には、その句集「風の友」にどんな風が吹いているか鑑賞したいと思う。
             やんぬるかな!

Posted on 2017/01/04 Wed. 11:34 [edit]

category: やんぬるかな

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やんぬるかな59 

やんぬるかな59  
をりとりてはらりとおもきすすきかな 飯田蛇笏
蟷螂のよろりと枯れを尽しけり  石津淡紅

前回は、“この「はらり」「よろり」この俳句のよろしさを味わうのに、秋は良い季節だ!”で終わった。さてこの「はらり」と「よろり」の様な副詞は経験的に理解しているが、実際には、視角、聴覚、触覚どの感覚で感じる取るのだろうか。
副詞の「はらり」を辞書で調べると例文に
「花びらがはらりと散る」
「髪がはらりと解ける」などがある。
それに「と」を伴う「はらりと」は擬態語になる。
ハ行なら「はらり」「ひらり」「ふらり」「ほろり」・・・
ヤ行なら「ゆるり」「よろり」などが思いつくが、これら物事の状態や様子などを感覚的に音声化して表現するのをフランス語では、「オノマトペ」と言う。「オノマトペ」は「擬音語・擬声語・擬態語」を包括したものだ。その数は文化圏の拡がりに伴ってどんどん増殖する一方だ。思いつくまま並べても、「あらあら」「いろいろ」「うろうろ」「おろおろ」「からから」「きらきら」「くらくら」「じわじわ」「ばらばら」「ほろほろ」「よろよろ」と無限だ。
日本人の心に沁みる演歌を解剖してみよう。八代亜紀の「舟歌」(阿久悠作詞)が歌いやすく、耳に残るのは、歌唱力と曲もさることながら、オノマトペのリフレインが、心地よく酔わせてくれるからだ。「しみじみ飲めばしみじみと」「ほろほろ飲めばほろほろと」・・「歌い出すのさ舟歌を~~」
さて恒例の流行語大賞の時期が来た。その年に流行った言葉、ギャグ、人物、新造語などから、大賞候補作品がノミネートされた。12月1日の発表前の下馬評はいかがだろう。個人的に気になるものを挙げよう。
●マイナンバー
●ゲス不倫・センテンススプリング;ベッキーとゲスの不倫を暴露した週刊文春の「文」=センテンス(sentence)、「春」=スプリング(spring)が由来。
●『G7(先進国首脳会議)』伊勢志摩サミット
●東京五輪エンブレム「組市松紋」野老朝雄
●笑点五十周年・(司会は桂歌丸→春風亭昇太)
●EU離脱
●日米通算三千本安打記録(イチロー)
●SEKOI(せこい)マスゾエする・第三者機関
●十八歳選挙権
●安倍マリオ
●ポケモンGO
●SMAP解散
●映画「シン・ゴジラ」
●アニメ「君の名は」興行収入百億円を突破。
●築地市場移転問題・盛り土
●神ってる;広島カープが25年ぶりのリーグ優勝
●コミック「こち亀」終了。40年連載最長記録
●『PERFECT HUMAN』お笑い芸人のオリエンタルラジオのダンスパフォーマンス。
●「ペンパイナッポーアッポーペン」謎のシンガーソングライター・ピコ太郎の楽曲。
●都民ファースト●アスリートファースト●レガシー
●トランプ旋風  
 
正式名「ユーキャン新語・流行語大賞」(自由国民社)は今年で33回目となる。もっとも世間に影響を与えたと思われるフレーズが表彰されるが、オリンピック関連、東京都庁問題、アメリカ大統領選挙などメジロ押しだ。
 因みに、2015年の大賞は「爆買い」・「トリプルスリー」だった。その他「一億総活躍社会」「五郎丸(ポーズ)」「ドローン」などがあった。
余談だが、十一月十三日の岡山市民マラソンに「そんなの関係ねぇ(2007年のトップテン)」の小島よしお(タレント)が参加していた。ゴール直前の一番しんどい時に、テレビカメラにそのギャグを披露し、芸人根性を見せていた。
さて江戸時代にも「キレキレ」のオノマトペの句がある。芭門十哲の一人、内藤丈草(じょうそう)は江戸前期の俳人だ。「ほこほこ」の使い方は、湯気が出そうな暖かい感じ!江戸中期の俳人高桑闌更(らんこう)の「ひらひら」の月光と翅(つばさ)の描写は前衛的で新しい感覚だ。
ほこほこと朝日さしこむ炬燵かな   丈草
月ひらひら落来る雁の翅かな      闌更
他にも、目から鱗の感覚の俳句!
ひうひうと風は空ゆく冬ばたん   上島鬼貫
とつぷりと後ろ暮れゐし焚火かな 松本たかし
妻が留守の障子ぽつとり暮れたり  尾崎放哉
冬の日のくわつと明るき一と間かな 村上鬼城
しんしんと寒さがたのし歩みゆく  星野立子

 いよいよカレンダーは残りの一枚になった。テレビのマスコミの過熱にはうんざりと言う人には、冬籠りの句を参考にしてもらいたい。
今、「生来の芸術上の貴公子」と評された松本たかしの句に惹かれている。能楽の名家に生まれるが、病の為に能を断念した彼の世界観、無常観がたまらない。
夢に舞ふ能美しや冬籠      松本たかし
人間の海鼠となりて冬籠る     寺田寅彦
冬ごもり世間の音を聞いて居る   正岡子規
 
現実の地球では、ポーカーではないが、ストレートフラッシュ?でトランプ候補が勝利した。韓国では百万人規模で朴政権に抗議のデモが行われている。海の向うと言ってはおれない状況だ。
へろへろとワンタンすするクリスマス 秋元不死男
木枯に星の布石はぴしぴしと   上田五千石

へろへろ」のあとは「ぴしぴし」も良い。
ここ、天文台の町の夜空には、どの様な布陣が敷かれるだろうか?
カフカ去れ一茶は来たれおでん酒 加藤楸邨
おでん酒なら理屈は要らない。        やんぬるかな!

Posted on 2016/11/21 Mon. 21:31 [edit]

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やんぬるかな58 

やんぬるかな58  工藤泰子

 

前回は発見のカタマリの子供俳句を紹介した。

  ①「さくらの木秋になったらふつうの木」

  ②「はっばはねおちているけどいきている」

  ③「太い木にまたあたらしいえだがつく」

  ④「あきにはねいろんないのちのなきごえが」

  ⑤「秋になりひとがやさしくなってくる」

今年度の「第十一回浅口市俳句大会」の小中学生の作品も負けてはいない。私が気に入った小学生の句は、次の二つである。

A「かき氷口いっぱいの北極だ」

B「みんみんと静かな森が鳴いている」

Aでは、【北極という言葉がキーンと効いたね。口いっぱいで、なにも言えねえ!」と子供ぽくコメントした。】    

 Bでは【みんみんは蝉のこと、静かな森は鳴かないのだ!みんみんが鳴いて森が騒がしくなったというべきなのだ。メルヘンとしても読めなくもないが、「みんみんが静かな森に鳴きだした」「みんみんが聞こえる森の静けさに」などと実験してみた。大人は理屈をつけすぎるかな。】などと書いた。

しかし、後から子供の“自由な発想”を台無しにしたと後悔した。この下五の「森が鳴いている!」というアイディアは④の句の様にも読める。みんみんに誘われて森が(森の生き物や森の精まで)鳴いている!ではなかっただろうか?

さて、テレビの「プレバト」人気で、俳句がより身近になった。タレントの仰天発想に愕き、いつき先生の劇的添削に、「やってみよう!」と思うものの、いざ実作となると、敷居が高いのが実情だ。「分かるわかるわ~」と、心を捉えた感動の一句や俳人(本・テレビでも)に出会えれば、チャンス到来だ。そして、次には“乾いた心に届く俳句”に出会いたい。

蛇笏賞(だこつしょう)は、俳人・飯田蛇笏に因んで設けられた俳句の賞。前年一月から十二月に刊行された句集の中で最も優れたものに与えられる。俳句界では最も権威ある賞とされている。第五〇回(二〇一六年)は矢島渚男「冬青集」が選ばれた。最終候補作は、石牟礼道子「泣きなが原」、茨木和生「真鳥」、坪内稔典「ヤツとオレ」だった。主催は角川文化振興財団。

最初の選考委員は角川源義、最新は、宇多喜代子・片山由美子・斎藤愼薾・長谷川櫂だった。

飯田蛇笏」の秋の句を鑑賞してみよう。

芋の露連山影を正しうす

死病得て爪うつくしき火桶かな

たましひのたとへば秋のほたるかな

なきがらや秋風かよふ鼻の穴

くろがねの秋の風鈴鳴りにけり

誰彼もあらず一天自尊の秋

註(1885~1962)高浜虚子に師事、「ホトトギス」派の重鎮。強烈な主観で甲斐の自然と生活をとらえた端厳荘重な調べで知られる。飯田龍太は四男) 

              

をりとりてはらりとおもきすすきかな

今の季節の薄の句である。人気のこの句はたくさんの人が鑑賞している。「増殖する俳句歳時記」の解説で清水哲男さんの提言は愉快だ。「芒を手で折るなんて?千切らなければ無理!」と手厳しい。私も試してみたが、やはり手折るのは、無理だった。しかし銀色に揺れる薄が枯れて種が飛ぶようになれば重さなど感じないほど軽く、容易に手折れるのだ。手の中で「はらりと」向きを変えた瞬間、意外にもそれの重さを感じた。揶揄した深読みは好きではないが、 社会に無用な「枯れすすき」のような人(我)でも、一見何の重さ(価値)のない枯れたすすきの穂も確かな存在感を持っている!と言っている様にも思える。仮名書きにより、軽さ=儚さが際立った。存在感を感じさせる「はらり」の解釈は深い・・。

「遥照」では、二年毎に合同句集を編んでいる。三十三号は300号記念に出版され、誇らしい金字塔となった。私が参加する前の2003年(平成一五年)「鴨方俳壇・年間合同句集」が手元にある。佐藤宗生先生を始め、今も活躍中の人々の名前を見る事が出来る。

甲斐梶朗・川崎照女・土屋鋭喜・花房柊林・原房枝・古川澄子・牧明子・光岡早苗・森脇八重さん・・・。

故、太田蘆青、西山防流先生方にはお目にかかったこともあり、俳句を通じて人となりを思い出すことができた。

県大会で大活躍の人や選者先生の名も見受ける。

一度は「遥照」の門を潜った人達の作品(十句中2句)を紹介しよう。   

 

    太田蘆青「金の梵字」

  惜しみきれなき青空や竹の春

  末枯や金の梵字の仁王門

   西山防流「新領土」

独りゆく晴れの花野は是非の外

乾びたる池の鶺鴒新領土

    島村博子「自然讃歌」

  水温む先争ふもとどまるも

借景に大河大海囀れり

   清中蒼風「美神」

貝寄風や眉のかげりし美神像

沙羅咲くや樹上に十花地に十花

   坪井翠「蝶の昼」

蝶の昼予告なく来る女客

拝領の画を曝したり里の寺

   内藤吐詩朗「紅梅」

雪のせし紅梅さらに艶めきぬ

臍を出す鉄棒の子も花の下

   藤枝桃苑「匂ひ壺」

竹の杖句の杖つきて初詣

家々に梅咲き谷は匂ひ壺

        傍線は故人

さて芒に戻ろう。言葉は種に似ている。種を飛ばして軽くなったような芒でも、「はらりと重い」存在感がある。俳句の種を撒きながら、その風を思い起すのはなんと素敵なことだろう。

石津淡紅さんの「ことばの広場」の言葉にヒントをもらった。

「わが句歴を振り返ってみて、よく続いたな!と妙に感心するのです。仲間がいるから句会があるから、なのだと感謝するばかりです。自分らしく自分の香りのする作品をと、目指すハードルは高いのですが、なかなか満足には至りません。スランプもしばしばですが、「俳句は日記」「自分史」と思って、「遥照」の道場を愉しませていただいています。」(2003年合同句集より)

 

蟷螂のよろりと枯れを尽しけり  石津淡紅

 

「はらり」「よろり」この俳句のよろしさを味わうのに、秋は良い季節だ。

            やんぬるかな!

 

Posted on 2016/10/27 Thu. 13:11 [edit]

category: やんぬるかな

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