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空海が行く

俳句 猫 庭 のこと

やんぬるかな24 

やんぬるかな〈24〉     工藤泰子
朝聞道、夕死可矣  
 朝に道を聞きては、夕べに死すとも可なり
「やんぬるかな」もついに二年目に突入した。
恒例、清水寺貫主の揮毫による世相を表す漢字は「輪」になった。一人では出来ないことが出来るのが“人の輪”、 回さなければ錆びつくのが“車輪”これからも回して転がり続けるつもりだ。
前回は第五十九回角川俳句大賞の選考のドラマ?とその句を紹介した。最後は清水良郎さんの「風のにほひ」が選ばれた。最終審査まで残った谷口智行さんの「薬喰」は残念だったが、現代人に馴染みのない季語であることもその一因だろう。結社「運河」では主宰の句集「薬喰」が出たばかりでホットで旬な素材だったのだが・・・・
死の一日前もがもなと薬喰  茨木和生
死ぬ暇もなうてと笑ひ薬喰   〃

   左記・茨木和生「薬喰」あとがきより
「私の家では、薬喰(くすりぐい)は験(げん)のものやと、年の暮に一度ふんだんに肉を食べて来た。験のものとは、それをしないとどんなまがごとが起るかも知れないと考えてしてきた習しである」次に「運河」の編集長で、医者でもある谷口さんの「薬喰(茨木和生)」の句集評に詳しい説明がある。
「古来より四足の肉は穢れがあるとし、原則的に忌避すべきものであった。しかしどの時代であっても極寒期となってはその栄養価を認めざるを得ず、薬喰の名目の下、むしろ推奨する風もあった。さすがに家畜は憚ったので、野生の猪(山鯨)、鹿、熊、兎などを食すようになる。「薬」は「奇し」と同源で、霊薬・神仙の意。霊妙な働きをするもの、特別な能力を与えてくれる不思議なものであった。古くは「日本書紀」の推古天皇の項に・・・」さて応募句に戻ろう。“薬喰”以外にも難しい句が50句並んだ。そこで評論集を多数出されている元「湖心」代表の佐滝幻太さんに応援をお願いした。ブログ(木偶の会)に掲載した全文はとても紹介できないので、「つまみ食い」になるのをお許し頂きたい。(俳句も一部とした/文章は斜体)
☆ ☆ ☆
第59回角川俳句賞応募の谷口智行作品について
「寂寥のかたち」      佐滝 幻太
(前略)「薬喰」についての私の感想を記したい。
 谷口さんが住む三重県御浜町阿田和は、新宮市から伊勢市へ通ずる国道を挟んですぐ南に茫洋たる熊野灘が広がり、「七里御浜」と呼ばれる長い長い砂浜が続く。山側には、田畑の向こうに一年中、種々な蜜柑が実る蜜柑畑が傾斜をなし、その背後には、大台ケ原へと続く吉野熊野国立公園に属する、那智山を潜めた深い山々が霞む。また、作者が幼少年期を過ごした、近くの新宮市には自然が色濃く残る大河熊野川が流れ下る。そんな豊かな自然の残る地域で、人々は主に一次産業に従事して生活してきた。そんな地方の農村、山村、漁村での嘱目、伝聞を句にする「谷口ワールド」は、作者にとっては自然であるのだが、或いは首都圏に住む俳人には「特殊な世界」に映るのかもしれない。(中略)
一膳飯屋、山羊の乳粥、豆腐屋、柿醂しをり、軌道敷、潜函、忍冬茶、貰ひ風呂、注連貰、などは、事実として存在し、言い替え不可能な言葉であり、「谷口ワールド」を特色づける。中には回想句もあるかもしれないが、なお、現代の熊野地方にはこうした状況や生活が存在しているのである。過疎と言われる地方の、これは「現代」なのである。谷口さんは、これらに取材ことで僻地を切り捨てている現代を告発しているのかもしれない。
  蜉蝣を一膳飯屋より放つ
  栗茹でし鍋湯を風呂に足しくるる
  潜函に立ち爽籟を聞きゐたる
  火を掲げ丑三刻の鹿を追ふ
  日向ぼこ自家製忍冬茶を啜り
  貰ひ風呂待つ間に年を越しにけり
  どの路地も溝板小路注連貰
 
最後の句は中上健次の作品にある「ロヂ」を思わせたりもするが、掲句は、民俗学の対象になり得る事柄を含みながら、どの句にも「人間のいる風景」がある。      中略・・
以下は、俳句の基本である谷口さんの写生句である。
A 山霧の霽れゆく木の間葉の間より
  月の夜の砂洲に至れる軌道敷
A 山火事のにほひの残る無人市
A よべ檜葉にかづきし雪の零れそむ
B 影が地に滲むとみれば凧降り来
風光る柄振に均す田面に
布海苔掻く鮑の殻を押し当てて
発破音朱夏の谷間に谺せり

鋭い感性から生まれたAの句は細部を描き、発見がある。Bの句は、見立てが秀逸な心象句である。砂を採るために砂洲にまで届いた月夜のトロッコのレールにある孤独は格別である。概して谷口作品の写生句には清冽さがある。「谷口ワールド」を強烈に印象づけるものに生き物の句の多さがある。さすが熊野である。谷口さんが地域の具体的な事象にこだわるのは類句類想を拒否するからである。
 
 マクワ猪背戸の刈田を過ぎりけり 
  猪檻の猪に臥処のなかりけり
  目蔭して鷹の行方を追へるなり
A 墾道に鞣されてゆく鼬の屍
A 猿の掌を打ちつけ寒の牛屋跡
  蝌蚪育て上げたる水の淀みかな
  青柿を屋根のくたかけ鳥が突く
  捨てられし錠前のごと蛇交む
 
こうした生き物を通して描いた熊野の自然は、事実であるから間然とするところがない。2句1章形式のもつ技巧や思わせぶりとは無縁の句群である。そしてまた、ここでも生き物たちと人間が融合している。人間の住む周辺の山河に生きるたくさんの生き物たち、人々と同じ時間軸を生きる生きとし生けるもの達。谷口さんの俳句には彼らへの深い愛情がある。○の句の、檻の猪は深い絶望の中にいる。「臥処なかりけり」と一見突き放しているが、作者の心は運命を受け入れねばならない猪と同じ悲しみの中にいる。Aの「凄絶」ともいえる2句も、生き物の末路を冷徹に描いている。が、ふと気づくと、過去に晒し首になった人もいれば、末期の癌で苦しみ続ける人たちもいる。
 最後に秀句を1句挙げて、鑑賞したい。
  寥々と山気迫れる薬喰 谷口智行 
熊野を描いて、これに勝る句は少ないだろう。この朗誦性、この自然と人間、大小の見事なバランス。そして普遍性。万物枯れ果てた冬の熊野は淋しいのだ。そんな季節を、人は薬と称して、鹿や猪を狩り、食べるのである。生きるために。淋しいものが淋しいものを食するのだ。すべて生きているものは死ぬから、生きている限り、その存在自体が本質的にかなしいのである。その内部には寂寥をいっぱい詰め込んで懸命に日々を生きている。自分と人々と生き物たちが抱いている寂寥を言葉によってかたちにしたのが谷口智行さんの俳句ではないかと私は思っている。
  
         後略   以上  評論より 
      今回は佐滝幻太さんの評論に圧倒されて言葉が回らなかった。そこで新年早々の「やんぬるかな」には、「酒」の俳句を並べてみた。早速「酔い」が回りそうだ・・!
 酒もすき持ちもすきなり今朝の春  高浜虚子
 金泥の屠蘇や朱塗の屠蘇の盃    夏目漱石
 しなだれて眼をつむりゐる屠蘇の酔 日野草城
 初空を心に酒をくむ日かな     山頭火
 
 
         やんぬるかな!            
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Posted on 2013/12/19 Thu. 09:52 [edit]

category: やんぬるかな

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