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空海が行く

俳句 猫 庭 のこと

やんぬるかな11 

 やんぬるかな〈11〉   工藤泰子
 今回の「やんぬるかな」は「やんなっちゃった?」と特殊な回となる。なぜなら、事故?で、文章の後半(重要な部分)がすっぽり抜け落ちてしまい・・恒例の「落ち!」の部分がないと言う間抜け?腰抜け?尻ぬけ?尻すぼみ?支離滅裂な文章になり、その尻ぬぐいをする破目に陥ったからだ。
 前回の前半は渡り鳥のことや、それを詠んだ句、季語「小鳥来る」の俳句をとりあげた。ここからは千切れた尾っぽは置いといて、言わば「蜥蜴の胴体」を再度!という運びだ。
         *****
小鳥来る三億年の地層かな     山口優夢  (第6回俳句甲子園最優秀句)
  小鳥来る夕日の歌碑に佇めば   佐藤八重子
この句の歌碑には、福山市神辺の童謡作家、葛原茂の「夕日」の童謡「ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む・・」が刻まれている。大正、昭和の懐かしい童謡や校歌など4000編以上を作った先生を偲ぶ「ニコピン忌」に行った時の句だそうだ。
「村の鎮守の神様の・・どんどんひゃららどんひゃら・・」日本人のこころに響く「村祭り」も彼の作品だとわかった。
 空を自由に飛ぶ鳥を昔の人はどう思っていたのだろう。
最近では地球環境の変化や、鳥インフルエンザなどで、遙々旅をすることが困難になって来ているのではないだろうか?
鳥帰るアルプス越えに死ぬもゐて   堀瞳子鳥は神を運ぶ神使だったのではないだろうか?自然を大切にしなければと、警鐘を鳴らしているのだ。
歌ではないが、「村の鎮守の・・」どんな所にも木や石で造られた鳥居がある。また “鳥居の絵やマーク”は 不法投棄などの防止に、まじないとしての威力は絶大だ。
鳥居は聖域との境目を意味し、異次元への入口なのだ。
伊勢神宮の神明鳥居が基本形だが、宮島の両部鳥居(四脚鳥居)、稲荷大社の千本鳥居などが有名。二本の柱に注連縄を張った「しめはしら」も鳥居のルーツだろう。
またインドの玉垣の門(トラーナ)、中国の華表(墓所の前の門)、朝鮮の紅箭門(こうせん)などが起源と言われ、呼び名も「天門」「神門」「額木」「鶏栖」などがある。
神話まで遡る「鳥居」説がある。
天照大神が天の岩戸に隠れ、天地が常闇になったとき、思慮深い思(おも)金(いかね)神(のかみ)が岩戸の前に止まり木を作り、何羽もの長鳴(ながなき)鳥(どり)を鳴かせたところ、天照大神が出てきて世界が再び明るくなった・・その止まり木が「鳥居」である。今でも伊勢神宮には長鳴鳥が居る?
 「通り入る」から・・の説もある。
とうりゃんせ!ロンドン・ブリッジ!謎が深まるばかり・・。
                やんぬるかな!
ここまでが、前回である。
さて竜頭蛇尾となってしまったが、深まった謎を少し解いてみよう。「正一位」は、神社の神階の最高位を言うのだが、稲荷神社の異称でもある。なぜ一位だか不思議に思っているが、御利益も多いにありそうだ。京都の伏見稲荷には一万基の鳥居があり、寄進者の名前が書かれた大小の鳥居がずらっと並んでいる。有名な千本鳥居の通ったことがある。隙間なく並んだ鳥居は赤いトンネルのようだ。鳥居を「通り入る」と「願い事」が通り抜けれる感覚!!間隔だった。
古くからなにげなく唄い継がれて来たわらべうたには、権力や権威に抵抗して、揶揄しているような歴史や知恵を感じることがある。
「とうりゃんせ」は日本の童歌、「ロンドンブリッジ」はイギリスのマザーグース(伝承童歌)である。国は違うが、子供達の遊び方は酷似している。二人づつでアーチを作り、千本鳥居のようにトンネルを作る。アーチでない子たちは、ぞろぞろ潜っていくが、歌の終りで、アーチが崩れ、その中の子は捕まり、アーチになる。最後はみんながアーチなの?
 とうりゃんせ、とうりゃんせ、ここはどこの細道じゃ・・
行きはよいよい、帰りは怖い、怖いながらも・・・・
ロンドン橋落ちる 落ちる落ちる・ロンドン橋おちる 
可愛いお嬢さん(マイフェアレディ)
「とうりゃんせ」はなかなかに意味深で、ネットで調べたら、閲覧できなかった。一方の「ロンドン橋」の歌は何番もあり、金と銀で建てようとか、盗まれるから番人を置こうとか、番人が寝るから、パイプを吸わせようとか・・ドンドン発展している。マイフェアレディは、女王様、聖母様などの訳もあり、「可愛いお嬢さん」と呼びかけるのは、人柱にしたという怖い説があるからだ。子供の遊びは時に残酷だ。
 かごめ、とうりゃんせ、おにごっこ、かくれんぼ、遊びは大人になるための通過儀礼なのだ・・。
かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて
       誰をさがしにくる村祭  寺山修司
 “村祭”後の祭!なんて言葉もあるが・・。
 かくれんぼ三つ数えて冬となる  寺山修司 下五の“冬となる”は季語を超越して、かくれんぼの孤独感、疎外感をいやおうなく感じさせる。天才、寺山修司の心情は、なにげない言葉の端に影を落とす。
なんとなく三つ数えるのが、怖くなった。
   やんぬるかな!

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Posted on 2012/11/25 Sun. 07:43 [edit]

category: やんぬるかな

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