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空海が行く

俳句 猫 庭 のこと

やんぬるかな62 

やんぬるかな62  工藤泰子
 前回は、何が透けて見えるかと、次の句を紹介して終わった。
春寒し蛸せんべいに蛸透けて  涼野海音
涼野海音さんとは、浅口、倉敷、岡山の大会などで、よくお目にかかるが、なんと四国の高松にお住みである。その彼が、総合俳句誌「俳壇」の一月号に、「新・若手トップランナー①」としてそのトップに登場した。
プロフィール;1981年生まれ「火星」・「晨」同人、句集「一番線」、合同句集「関西なう」
第4回星野立子新人賞賞受賞等・・
本の記事は一ページ目には大きな写真やアンケートがある。〈参考までに〉好きな季語「雲の峰」、好きな食べ物「うどん」、影響された俳人「高野素十」、生れかわったら、なりたいものは「カモメ」・・次ページから、俳句、自身の文章「自得の文芸」が続き、評論の「涼野海音作家論」と七ページにも亘る。まず作品は、
   「晴れ男」
ペンの音より流星の音しづか
球場は森の明るさ鳥渡る
晴れ男きて蓮の実の飛びにけり
白菊の影わが影に重なれる
登高や亡き人の句をつぶやいて
夜の海へ傾いてゐる案山子かな
地図ほどの日向に木の実落ちにけり
開きたる手紙あたたか黄落期
丸善の入口に秋惜しみけり
枯菊を焚く湖のしづけさに
 
この中に浅口市俳句大会(十月)に参加された時の句「晴れ男きて・・」がある。表題にもなっているとは、嬉しいかぎりだ。その場所を知っている我らとすれば、晴れの国・岡山のシンボル天文台を遥かに仰ぎ、蓮の実の飛ぶ音を聞いている作者の視線に心を通わすことができる。それは宇宙へ飛び出す瞬間かと・・。
もう一つ、「球場は・・」の句は、岡山県俳人協会の護国神社吟行の時の句だ。たしか前会長の大倉祥男さんの選に入った記憶がある。護国神社の深い森の入口近く、球場では子供の野球チームの元気な声が聞こえる。明るさ!と簡単に言ってのけた様だが、深読みが出来る要素は盛り込まれている。
 さて、「自得の文芸」から“海音俳句”の秘密を探ってみよう。
 【私が初学の頃から実践していることは、毎日、俳句を詠む(あわせて他者の句を読む)、季語の現場に立つ、そして自分に正直に詠むことである。・中略・・
 そして季語の現場に頻繁に立っていると、安易に季語を変えて句を作り上げようという気持が、不思議にほとんど起こらない。】
 【読者や結社の傾向におもねるようなことは、今まで一度もなかった。師友の意見をヒントに、自ら徹底して考えることが、俳句を自得する上で大事ではないだろうか。・・・ここ十数年を振り返ってみると「俳句は自得の文芸」という言葉が、とても身に沁みる。
 今は失敗を恐れず、堂々とわが道を行くのみ。私のような凡人には、凡人なりの行き方がある。それが私の俳句である。】
 順番は後先になったが、俳句の魅力については、
【俳句の魅力は、シンプルさと奥深さ。この二つを体現しているのが、高野素十の句である。大学卒業後に入学した、通信制大学および通信制大学院で、四年ほど素十を研究した。左の句は「見たまま写生のような句だが、その奥にあるものを、今も追っている。
方丈の大庇より春の蝶  高野素十「初鴉」
ひつぱれる絲まつすぐや甲蟲
まつすぐの道に出でけり秋の暮】
 見たまま写生・・その奥のもの・・さてさてとても手ごわい。
鑑賞は谷口智行氏の「涼野海音作家論・『潜まされた利器』」の文章に委ねたい。
 長文なので、イントロとエピローグだけ・・キセル状態で、お許し願いたい。
    ※(イントロ)
  海の日の一番線に待ちゐたる   『一番線』
 句集『一番線』のタイトルとなった作品。想起する景として何処の「一番線」でもよいのだろうが、「海の日」に因み、潮の香りを匂わす駅の一番線を思い描いた。
この国に住む僕たちの心には、海の向こうからやって来る者(物)への期待と畏れ、信仰のような感情がある。この「一番線」は単なる歩廊の一つではなく、現世と他界の接点であり、その境界となる渚のような場所と見ることもできる。氏が「待ちゐたる」のは、他界から現世に帰り来る祖霊、遥かなる魂だったのかも知れない。掲句、彼岸的静謐に満ちた作品とも読める。
    ※(エピローグ)
春寒し蛸せんべいに蛸透けて   『一番線』
立春が過ぎ、春も深まって来たある日の居室。「蛸せんべい」の中に圧し延べられた蛸が透けて見えると詠む。窓から差し込む日差しは春なのにまだまだ寒い。そんな日の小さな発見。さて、鑑賞の余地は大いに残された。
作者の思念はけじめの付かぬほど「蛸化」されている。もはや対象としての蛸ではなく、まぼろしの女体のごとき蛸だ。思念は蛸を冒し、神をも恐れぬ狂気を以て交わる。これを敢えて幻想と呼ぶなら、幻想こそが実在と言える。蛸の透けた煎餅を見つめるという現実はすでに仮のもの、仮の世界で揺らめくともしびのようなものである。春光のほとりに移りつつ消えゆく心のまぼろし。孤独の凄まじさ。
  誰もゐぬベッドの上の蛍籠
(「俳句」二〇一六年九月号「短夜」)
  めとりたき人にどんぐり拾ひけり
(星野立子新人賞作品「手毬つく」)
  終点の灯に鬼の子の揺れやまず
(「俳句界」二〇一六年十一月号「父の机」)
 身近な生活的イメージの定着のさせ方が絶妙である。孤独こそが自己を成熟させる糧だと言わんばかりだ。しかも陰鬱な雰囲気がなく、読み手の心にぽっと灯を点す。淡々と感情を抑制することから来る倹しき日常への信頼、そこから生じる光。反骨の念など見せずとも、明日に向かう熱を存分に孕んだ若き俳人の光と言えよう。
 畢竟、涼野氏は抒情詩人である。そして抒情を知性によって抑制し凝縮して表現する。構えず、去なさず、突っ張らず、厚化粧せず、ひたすら「季語を通して」自己と向き合う。また自身の優しさ(テンダーネス)や羞恥心(シャイネス)を読み手に感じ取らせない。氏の言葉を借りれば、まさに「堂々と」、作品の中に自己を流露させている。さまざまな利器を潜ませた一種革命的と思われる氏の作品世界に心惹かれる所以である。
      ※
 俳句のみならず、エッセイ・俳論など、マルチな才能のドクター谷口の海音論は異次元の世界を覗かせてくれた。今年度の「ことばの翼「詩歌句年鑑」から、二句を紹介すれば謎は深まるばかりだが・・
  海底は沈木の森西ようず     谷口智行
  春宵の水甕健次の量(かさ)と思ふ  〃
 蛇足だが、昨年の運河俳句賞では、谷口編集長の二席を頂いた。身近なところにも俳句の種は落ちているものだな~~あ!     やんぬるかな!
  第23回運河俳句賞
   谷口智行選 第二席
    「八千草」  工藤泰子
きちきちの草叢の基地跳びだせり
古瓦積まれしまんま草の花
てつぺんに穂の付く木賊折りにけり
八千草に八百万の神おはします
青空へ継ぎ足してゆく蜘蛛の糸


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Posted on 2017/02/27 Mon. 16:04 [edit]

category: やんぬるかな

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