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空海が行く

俳句 猫 庭 のこと

やんぬるかな60 

やんぬるかな60  工藤泰子
 「やんぬるかな」が60回になる。「遥照」は毎月発行なので、五年間休まず書いてきたことになる。最初に書いた「やんぬるかな1」は、こんな調子の“笑える力作”だった。少し振り返ってみよう・・。
「はひふへほー!」これはいったい何?子供に人気の漫画に出てくるのだが、何故「なにぬねの」ではないのかな。・・・答はやなせたかしさんの漫画「それ行けアンパンマン」のバイキンマンが登場するときの雄叫びだからだ。退散する時には「バイバイキン!」となる。人気の悪役キャラのバイキンマンは黴菌を撒き散らす「ハエ」だからハ行で・・。とこんな調子!
しかし、真面目に「いろは歌」も紹介している。
“色は匂へど 散りぬるを 我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず“
作者は、空海とも柿本人麻呂とも言われているが、47文字使い切って見事だ。47というと、おニャン子クラブ47名/赤穂浪士47士/AKB48は?一人多いのが狙いか?・・この号の文章は、漢字の【己んぬる哉。これからも日本語と俳句の間をうろつくつもりだ】で終わった。
 「やんぬるかな2」では、上から読んでも下から読んでも同じ=回文を紹介した。
虫置きし土間のその窓子規惜しむ  井口吾郎
   ポポンタポポンタタンポポタンポポ  〃
回文の傑作に「宝船」がある。初夢を見るとき枕の下に敷く縁起を担ぐもので、宝船(帆掛け船・七福神・米俵・宝貨)の絵が描いてあり、聖徳太子の作と言われている歌(回文)が添えられている。長寿、なみのり(実り)舟(不音)などの掛け言葉もあり高度な技術が駆使されている。
長き夜の遠の眠りの皆目覚め
波乗り舟の音のよきかな
ながきよのとおのねむりのみなめざめ
なみのりふねのおとのよきかな
 この様な言葉遊びも楽しいが、俳句を作るには、「季語」の力と魅力を理解する必要がある。
昨年一月、茨木和生著「季語を生きる」(邑書林出版)が出版された。第十一回俳人協会評論賞を受賞した「西の季語物語」(1997年)、「季語の現場」に続き“俳句の本質に迫る現場の声!”が届く本だ。まるで「社会学」「文化人類学」などのフィールドワークの様な行動力の先生は、環境問題にも向けられ、「吉野の桜」・「那智の滝」を守る会を推進されている。
出版にあたり、編集長の島田牙城(和生先生の高槻高校の教え子)が、「『続・季語の現場』という題ではいけません。『季語と生きる』では弱い。『季語を生きる』としたらどうですか?」と提案してくれたので、「・・いいねえ!」とこれに決まった経緯が、あとがきにある。
さて著書「季語を生きる」の「新年の季語」から、珍しい季語のいくつかを見てみよう。
【私(茨木和生)が詠んでいる新年の季語は七十ちかくあるが、生活様式がどんどんと変わってゆき、少年時代に体験していた行事や慣わしなどもずいぶんとなくなってきている。季語の「蓬莱」もその一例である。公団住宅やマンションに暮らしていたころ、「蓬莱」という季語で作句することなどはなかった。せいぜいが三方(さんぼう)に羊歯(しだ)を敷いて鏡餅を据え、昆布、串柿、橙を置く餅飾りをする程度だった。季語のある暮らしをしてみたいと思っても、時間的な経済的な余裕がなかった時代だったからである。
定年になって、時間の拘束から解放され、松の内の間に漁村や山村の民宿に泊まって吟行する機会に恵まれるようになった。正月の漁村に行けば、その集落の祭礼の神事宿である頭屋(とうや)の家を訪ねて、みごとな蓬莱飾りを見せてもらったりした。
   蓬莱の栄螺の吐きし潮かな  和生〃
   蓬莱の鮑の痩せを嘆きけり  〃】
 忘れられそうな古季語を甦らせる活動もしている先生だからこそ、出会える季語の現場!だ。次に
【正月ならではの季語「初詣」は神社や寺に出かけないと佳句を得ることはできない。しかし、表面だけ見ていると、類想、類似の句になってしまうのも「初詣」の句である。初詣に出かけていってそこで出会う「季語」を歳時記であらかじめ調べておき、その季語の現場に立ち会って句を作ることが大事である。・・中略・・私が季語「宝船」に関心を持ったのは、下賀茂神社や錦天満宮で実際に宝船を買い、それを枕に敷いて寝たという体験をしてからである。
  泥描きをしたる日輪宝船   茨木和生
  青々の直筆といふ宝船      〃  】
 今年の「ユーキャン新語・流行語大賞」は、「神ってる」だった。言葉を発したのは、広島カープの緒方監督だが、受賞したのは25年ぶりのリーグ優勝の「神がかっている!」シーンの立役者、鈴木誠也選手である。「神ってる!」とは、若者言葉なのだが、これで、完全に市民権を得ることとなった。スタジアムを埋め尽くしたファンの祈りが言霊となって天?に通じた結果だろう。神った鈴木の年棒は三倍増になったそうだ。
一方、サッカーのファジアーノは残念な結果に終わった。ボールがゴールを揺らすか掠るか?ピンポイントの神の計らい?今年の活躍を期待しょう。
 もともと日本人は慎み深いところが美徳であった。他人に向かって、あからさまに非難する「言挙げ」「言向け」はしない。なぜなら、言葉には呪力があり、声に出して言い立てると、他人を本当に傷つけることになると恐れていたからだ。万葉集の柿本人麻呂の歌に
「葦原(あしはら)の瑞穂(みづほ)の国は神(かむ) ながら言挙げせぬ国」がある。
その悪しき例として、「ヤマトタケルが伊吹山の神の出現に対して退治に出向いた時、 突然現れた白猪(実は神)を神の使いだと見誤り、素手でやっつけてやろうと「言挙げ」をした為、神の怒りに触れ、病に罹り命を落とす結果になった。」がある。
 
お正月には特に縁起のいい言葉が喜ばれる。子供時代の記憶に「おしし」がある。悪魔祓い、飢饉や疫病を追い払う獅子舞のことだ。ぎらぎら光る金歯を開けて、ガブリと噛むので、逃げ回ったが、「噛みつくと神が付く」縁起かつぎとは知らなかった。
獅子舞の来て村ぢゆうが動きだす  鷹羽狩行
舞ふ獅子の口にくはへし新紙幣   白神知恵子
獅子頭はづし携帯電話受く     馬場公江
  コイン切れ仕掛け獅子舞そつぽ向く 久松久子
 久松久子さんの句は、句集「笑って五七五」(滑稽俳句協会叢書)の句である。コインで動く獅子舞は「金」の切れ目が「運」の切れ目かと笑ってしまった。
 軽くも重くも軽みも深みも俳句はさまざま。
今年も目出度く始めたい。
  寝返りにゆらぐ敷き寝の宝船   内藤吐詩朗
  神官のこゑの歯切れや淑気満つ    〃 
 遥照の元会員、内藤さんの届いたばかりの句集から選んだ。次回には、その句集「風の友」にどんな風が吹いているか鑑賞したいと思う。
             やんぬるかな!
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Posted on 2017/01/04 Wed. 11:34 [edit]

category: やんぬるかな

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