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空海が行く

俳句 猫 庭 のこと

やんぬるかな52 

やんぬるかな52  工藤泰子

 前回はとびきりの詩魂の持ち主、友人の嵯峨根鈴子さんの三句で締めくくった。
 土筆煮る星のきれいな夜のこと 嵯峨根鈴子
ひんやりと春の把手が掌にのこり  〃
とびきりの月をあげたりふきのたう  〃
 
彼女の発想や表現は桁違いなので、取扱いは要注意だが、自由勝手に遊んでみた。
〈土筆が野に在るとき見上げていた空〉は岡山の星空に違いなく、〈把手を廻してしまえば〉そこは、もう故郷の春が広がる。〈とびきりの月をあげる〉とはどんな月だろう。蕗の薹の“薹が立ったもの”は『蕗のおばはん』と言うそうだ。このふきのたうは、少し苦味もあるが、初々しいうら若い女性を想像する。月と女性の間の距離感を絶妙に表出した。
嵯峨根鈴子略歴:
1949年 岡山県生まれ
1998年 「火星」入会
2004年 「火星」退会
2005年 同人誌「らん」同人
2006年 第一句集『コンと鳴く』(らんの会)
2007年 現代俳句協会会員
2011年 第二句集『ファウルボール』(〃)
彼女の不思議な魅力の背景を探ろうとエッセーを覗いてみた。
「あのころ1」
 「昭和は三十年代半ばの頃、小学生の私が住んでいた出で湯の郷は、また大いなる色町でもあった。昼下がりの湯屋は、その道の踊り子さんやら、芸者の御姐さん達のものであった。気質(かたぎ)のお母さんや、子供等で混み合う夕刻までのほんの一時のこと。・・・・・・ある日の午後、小さな女の子が一人、お姐さん達に紛れて湯舟に浸かっていた。そこでは誰もが自分自身のことにのみ熱心で、人のことには目もくれない。・・・・・時間は、静かに豊かにあり、女達は春の女神のように、無心で、大胆で、唯ひたすらに美しかった。が、私の記憶は此処で途切れる。見馴れた近所のおばさん達の声と、古い団扇の風を真上に感じて、気がついたのは、番台さんの畳の上であった。
  ヌード嬢の踵透けゐるヒヤシンス
あのころのことである。」

鈴子さんと知り合ったのは、私の句友の堀瞳子さん(運河・木偶の会)が鈴子さんと俳句仲間(火星)だったからだ。句柄は違うが、二人共、才気煥発で魅力的な人だ。
その鈴子さんは、結社を出てから2004年に「俳句朝日賞の準賞」を受賞し注目の人となった。選考の経緯に「俳諧的なしたたかさ」「ボキャブラリーの豊富さ」が挙げられている。作品「玉手箱」三十句の中から一部を紹介しよう。
札の皺のばして使ふ草の市
  ラムネ飲む空のこくんと鳴りしとき
  聖戦の最中なるかな玉手箱
  いなびかり叺(かます)の口が突つ立つて
  みどりの日ボタン孔から金釦
  紙風船畳に影を置きにけり

そのしばらく後のことだが、鈴子さん、瞳子さん高道章氏(運河・鳳)と私の四人で、谷口智行氏(同年、朝日俳句新人賞受賞)の住む和歌山県の熊野へと訪問する運びとなった。俳句スポット!霊的スポット!などを大興奮で吟行し、句座と酒宴で盛り上がった?ことも懐かしい。
 さて第一句集「コンと鳴く」は絵も字も書く鈴子さんならではの装丁だ。帯文には「らんの会」の鳴門奈菜さんの序がある。
 〈嵯峨根鈴子は俳句憑き、つまり俳句に憑かれてしまった人、そして俳句が自分に憑いたようなふりをしているが、憑かせたままにしている鈴子さんがいる。〉とある。
 この句集は、「序」「からくり」「戯れ合うて」「春やむかし」「つつがなし」「はりぼて」「あとがき」からなっていて、自筆のタイトルからも、前衛的な感覚におちいる。さて何が「からくり」なのだろう。
  竹の皮狐になってしんぜませう
筍が生長すると、下の節から順々に皮が落ち緑色の若竹になる“竹皮を脱ぐ”様に“私”が脱皮して“狐”になる????・・・・さてさて・・
葛の葉の草鉄砲よコンと鳴く
「あとがき」をみて、舞台とからくりに納得した。
  ふるさとは大字田羽根しぐれけり
 「変哲もない句であるが、この大字田羽根というのは、岡山県美作の名湯、湯原温泉に隣接する木地師の村である。藤本浩一著「木地山紀行」に詳しいが、ほぼ全村同族の小椋姓の村である。川が一本、道が一本、あとは山ばかりの、この村に私は生れた。中学一年生までを、田羽根と湯原温泉とで過した。」とある。
インターネットの“増殖する俳句歳時記”で、詩人の清水哲男さんが、次の句を取り上げている。
箱眼鏡うしろ山より夜はみつる                           
「季語は「箱眼鏡」で夏。三十センチ四方ほどの箱の底にガラスを張ったもので、これを水面に浮かべて、水中を見る。川瀬などに入り、覗きながら鉾(ほこ)か鈎(かぎ)を使って魚をとる道具だ。・・・中略・・無心に川を覗いている男の子の無防備な背後から、音も無くしのびよってくる闇の世界。私なりに連想を飛ばせば、掲句は人生の比喩にもなりうるわけで、あれこれと物事にかまけているうちに、「うしろ山」では途切れること無く、静かに「老い」という「夜」が満ちつつある。やがては、その「夜」が一人の例外も無く闇の世界に引きずり込んでしまうのだ。簡単な構図の句ではあるけれど、その簡単な構図で示せる土地に、実際に暮らした者でないと、こういう真に迫った句は書けないだろう。傑作だと思う。」と、べた褒めだ。

第2句集「ファウルボール」も帯文から見よう。
「『俳句の崖っぷちを覗いてみたい』と言うのが望みであるが、その途中の日々にこそ俳句はあるのだとも思える。……私は俳句を引っぺがしたりからかったり、時には裏切ったり裏切られたりしながら、たっぷり道草食っている。どこかへ辿り着けるのだろうか?」これは「ちかごろ」というあとがきから引いている。
 この句集も同様に、自筆で書かれたタイトル「まひまひかぶり」「紙飛行機」「他所の街」「卵」「右半分」「あとがきに代えてエッセー」が魅惑的な味を出している。
 薇の疑うらくは地動説  「まひまひかぶり」
すひかづら紙飛行機の遺書ならむ「紙飛行機」
しやぼん玉あるいは出口かも知れぬ「他所の街」
噴水の非常口から入りたまへ  「〃」
佐保姫のときどき白き平手打  「卵」
貝柱そこで何をしてをるか   「〃」
島一つ戴く約束スイトピー   「〃」
菊 に綿被せて大阪道修町    「右半分」
借景の右半分を鳥帰る     「〃」

さて表題の“ファウルボール”だが、境界はどこで、どこにボールは飛んで行っているのだろう。ファウルとヒット(ホームラン)との境界?俳句なのか何なのか?判定を想定してみると、相手チームのミットに納まるまではセーフなのかもしれない・・。
ぎりぎりの崖っぷちを楽しんでいる鈴子さんの次の句集は、5月に出版されるそうだ。

 草の絮ファウルボールを追ひかけて
 反撃のチャンスはんかち畳み終へ
 
            やんぬるかな!
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Posted on 2016/04/30 Sat. 10:43 [edit]

category: やんぬるかな

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