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空海が行く

俳句 猫 庭 のこと

やんぬるかな46 

やんぬるかな46  工藤泰子
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やや欠けた月も満月として詩   又吉直樹
前回は「火花」で芥川賞作家となって脚光を浴びている又吉直樹の俳句を紹介した。この句は「カキフライが無いなら来なかった せきしろX又吉直樹」という“俳句・エッセイ・写真”をコラボした本からとったものだ。
今回は集英社の「芸人と俳人」又吉直樹×堀本裕樹を手に取った。
堀本裕樹は一九七四年和歌山県生れ。「いるか句会」「たんぽぽ句会」主宰。俳人協会新人賞、北斗賞を受賞。著書に「十七音の海・ 俳句という詩にめぐり逢う」、句集「熊野曼陀羅」などがある。
この本の表紙は、白服とステッキで、まるで文豪の様な形の二人の写真である。実は、一風変わった俳句の入門書だとは、開けてみるまで判らない。「五七五の定型マスター!」、「季語に親しもう!」、「切字を武器にする!」から始まり、「選句」、「句会」、「吟行」と進んで行く。二人の異次元の掛け合い?を楽しんでいるうちに、「共感力を養う!」。「季語の豊かさに触れる!」「言葉の《技》を身につける!」など、「十七文字の 研ぎ澄まされた俳句的《ものの見方》を知ることとなり、“日常が感動にと変わってゆく!”と言う仕掛けである。
縁というのはあるもので、私の所属している結社「運河」の今年度の「同人作品の管見」が堀本裕樹氏なのである。ちなみに来年度からは、先日「遥照句会」に四国より飛び入り参加された、目下売出し中の涼野海音氏に引き継がれる。
「運河」七月号の管見の中の句評に私の拙句も・・
花衣孔雀の檻を見てゐたり  工藤泰子 
「一見なんでもないような一句にも見えるが、掲句の情景を思い浮かべてみると、なかなか佳麗な趣がある。花衣の美しさと孔雀の羽根の美しさが檻を隔てて響きあっている。花衣を着て動物園に来ていることが不思議なリアリティをもって掲句の光景を引き立てているといえよう。花衣の人はひょっとして、檻の中の孔雀に自分の姿を重ねて見ているのかもしれない。こんなに華やかに着飾っているが、自分の周りにも見えない檻がある。見えない檻とはしがらみや人間関係などの悩みかもしれない。そんな心理まで掲句から想像された。」
なんと!「やや欠けた月も満月・・又吉」ではないが、想像力で膨らますのが、俳句ワールド、詩の世界の醍醐味である。「出来過ぎジャーン!」となる。
 さて「芸人と俳人」のコラボ!
《十月》
  秋高しハウリングする拡声器  又吉直樹
   後の月手渡されたる貝の色   堀本裕樹
        ※ハウリング=遠吠え・スピーカーに雑音が生じる現象
《十一月》
  夕しぐれ幼き翁吠えにけり     直樹  
  木枯やこころの涯の一樹まで    裕樹
《十二月》
  血脈の讃美歌ひびく霜夜かな    直樹  
  革靴に鳩目の並ぶ寒さかな     裕樹

 この本の生徒!又吉はさすが芸人である。ボケとツッコミで、すいすいと俳句の世界に引きこまれてしまった。
  ジャンルは変わるが、川柳の秀句?
 誕生日ローソク吹いてたちくらみ   男性63歳
 紙とペン探してる間に句を忘れ    男性73歳
 女子会と言ってでかけるデイケアー  男性74歳
 起きたけど寝るまでとくに用もなし  男性73歳
目覚ましのベルはまだかと起きて待つ 男性71歳
忘れ物口で唱えて取りに行き     女性77歳
 目には蚊を耳には蟬を飼っている   男性67歳
 飲み代が酒から薬にかわる歳     男性72歳
 
実はこれらは「シルバー川柳」で、あまりに共感を呼ぶので一抹の寂しさが漂う。余韻が無いのが、玉に傷・・である。
そこでやはり「芸人と俳人」に戻ろう。又吉の「まえがき」が文学的である。
【又吉】「定型ってなんやろう?」「季語ってなんやろう?」「や、かな、けり、って呪文かな?」という調子で、とにかく俳句が怖かったのである。・・中略・・・それでも、なぜか俳句に対する興味は薄れることはなかった。それに、俳句に親しむことによって、今まで遠い存在だった古典文学などを読み説くヒントになるかもしれない。なにより、十七音という限られた字数の中で、あらゆる事象を無限に表現できる可能性を秘めている俳句を心底カッコ良いと思った・・・・。
 又吉は153回の芥川賞だが、74回は中上健次であった。「やんぬるかな26」では、「熊野俳句大学俳句部」の彼の文章を引用していた。
【中上】「何しろ五七五って俳句のジャンルは、ぼくらの散文の世界で言いますとね、四百字原稿用紙で一行ですよ。その一行で、例えば一行の文章、一行でね、僕らの十枚の短編とか、あるいは三百枚の中編とか、千枚の長編という物と同じジャンルで匹敵しようとする。非常に躍進的だし、生意気だし、俳句ってのは面白いジャンルですよね。そうすると素人から本当の玄人まで、一行の中に三歳の子も作れるし頭の中が図書館みたいになっている人まで五七五を作ることができるという。短いし、膨大という不思議なジャンルなんです・以下略。
彼の言う“本当の玄人”とは?
宇多喜代子の「ケンジアカデミア」の文章を引く。
【宇多】「世界一短い詩であっても物が言えるということに対し、極大な物を書く健次は素直に畏怖していた。彼は俳句の定型、切れ、省略の技法を認め、理解し、そういった俳句に感心を示した。そして『俳句のような短編を書きたい』ともかたった。健次はまた、いわゆる手練の句を見抜き、そういった作品は採らなかった。知識で俳句に入ってきたのではなく体で入って来た・・・・」   
 さて秋の夜長には、“本当の玄人”の俳句はいかがだろう。明治の俳人の句の気骨を読み解きたいものだ。
  木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ  加藤楸邨
  秋の暮山脈いづこへか帰る       山口誓子
  空は太初の青さ妻より林檎うく    中村草田男


虚子は次の句を「目前の些事をつかまえて来てそれで心持の深い句を作ることができる」と言った。
 秋風や模様のちがふ皿二つ      原 石鼎                                やんぬるかな!                     敬称略

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Posted on 2015/11/02 Mon. 19:50 [edit]

category: やんぬるかな

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