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空海が行く

俳句 猫 庭 のこと

やんぬるかな33 

やんぬるかな33 工藤泰子

   芭蕉親し一茶は嬉し夜は長し  金子兜太         
前回と、その前の二回は戦争俳句を取り上げた。時代背景を知ることで、俳句の解釈が劇的に変わる。前回に「語る兜太」の中から、次の句の意味と背景を知り、本当の「命がけ!」を考えさせられた。
水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る 兜太 
おおかみに蛍が一つ付いていた   〃

たまたま、現代俳句協会賞受賞の俳人、塩野谷仁さんの評論集「兜太」(邑林舎)が手に入ったので次に紹介しよう。
『兜太の〈産土〉への想いは、人間の〈いのち〉―「天人合一」の思念まで高まっていくのだが、その基本はただ一つ、すっくと〈土〉に立つことにあったにちがいない。どっしりと、そして、毅然と、〈土〉に立つ。昭和二九年ごろ、「社会性は態度の問題」といいきったことがあったが、その態度もこの姿勢であったにちがいないのだ。・・帯文より』
文中で、印象的な箇所をもう一つ引く。
『世阿弥の〈体(たい)〉と〈用(ゆう)〉についてである。能に体・用のことを知るべし。体は花、用は匂のごとし。また月と影とのごとし。体をよくよく心得たらば、用もおのづからあるべし。・・中略・・心にて見るところは体なり。目にて見るところは用なり』世阿弥芸論の根幹の比喩に、俳句も同様!と言う意見に多いに納得した。
さて掲句で「芭蕉は“親し”一茶は“嬉し”」と言った兜太の「その心は?」微妙なニュアンスを推し量ることはできないが、芸論の「月」と「影」が出て来たところで、二人の月の句を並べてみた。
  ひとつ家に遊女も寝たり萩と月    芭蕉
これは影どころか、ずいぶんと艶めいた句ではないか!しかも季重なりだ。伊勢参りに行く遊女達と同じ宿(越後の国、市振)に泊まった時、「心細いので同行を」と頼まれたので断わり、「われわれは萩と月のような取り合わせだ」と詠んだとか!まことしやかだが、フィクションらしい・・。
名月を取ってくれろとなく子哉    一茶
一茶は生涯二万句以上の句を作っている。
大根引き大根で道を教へけり     一茶
やれ打つな蝿が手をすり足をする    〃
我ときて遊べや親のない雀       〃
 
「おらが春」の俳句では“ほのぼの”とした人物像に読めるが、金銭問題、妻子との死別、離縁などの精神的軋轢から、自虐的句風の句が多い。
これがまあ終の栖か雪五尺   一茶                 
信濃町の一茶記念館と最後に住んだ土蔵を訪れたことがある。母屋を火事で失い、焼け残った土蔵に一人住み、そこで64歳の生涯を閉じた。
信濃では月と仏とおらが蕎麦  (一茶?)
余談だが、有名な「おらが蕎麦」は「おらが春」から着想した蕎麦屋の創作という説がある。
     *****
さて昭和を代表するミステリー作家「横溝正史」は岡山を舞台にした作品を多く残した。戦争直後の混乱時代、おどろおどろしい殺人事件が次々起きる。それを見事に解き明かすのが、「名探偵・金田一耕介」である。テレビでは、石坂浩二、古谷一行、中井貴一、役所広司、稲垣吾郎などが演じ、ヨレヨレの帽子、着物、袴、下駄のいでたちで、お馴染みだ。
  「金田一耕介の事件簿」より岡山の事件とロケ地 
【本陣殺人事件】―倉敷市真備・川辺宿場本陣跡地
【獄門島】―笠岡諸島・真鍋島・高梁市「西江邸」
【八つ墓村】―高梁市成羽町吹屋、「広兼邸」
【悪魔の手鞠唄】―備前吉永町の「八塔寺ふるさと村」
【悪霊島】―瀬戸内海の(刑部島)・笠岡港・倉庫群
【犬神家の人々】―「野崎家旧宅」

中でも【獄門島】は「俳句」が謎を解く「鍵」なので紹介しよう。
発端は、金田一耕助が復員船の中で死んだ戦友、鬼頭千万太に遺言を託されたことに始まる。
『三人の妹たちが殺されるおれの代わりに獄門島へ行ってくれ』
瀬戸内海に浮かぶ小島、獄門島は、江戸三百年を通じて流刑の地だった。網元として君臨する鬼頭家を“九月”に訪れた金田一は、美しいが、どこか尋常でない三姉妹に会った。そこで悪夢のような連続殺人事件が起きる。跡継ぎの戦死に伴う相続争いか?事件の根は深く、最後までドキドキさせられる。当主、鬼頭与三松は、精神病を患い座敷牢にいる。与三松の妾は元女役者のお小夜で、三人の娘、月代(長女)、雪枝(次女)、花子(三女)がいる。
そして、今は亡き先代、嘉右衛門の書いた俳句屏風の「三つの俳句」の通りに殺人事件が起きた。
①鶯の身をさかさまに初音かな   宝井其角
②むざんやな冑の下のきりぎりす  松尾芭蕉
③一つ家に遊女も寝たり萩と月   松尾芭蕉

最初の事件は①の俳句の内容そのままに花子は足を帯で縛られ、梅の古木から逆さまにぶら下げられて死んでいた。金田一は、和尚が「きちがいじゃが仕方がない」とつぶやくのを耳にする。これこそがヒントで、「気が違う、木が違う」ではなく、「初音」は秋でないので、「季が違う!」と言うことだ。   
一時期、放送に不適切な表現と言うことで、音声に(ピー)を付けた時は、意味不明だったとか・・。
また、手拭での絞殺や、小夜の得意芸が、歌舞伎『京鹿子娘道成寺』というのが、ヒントであった。 
①花子  娘道成寺の白拍子の名前
②雪枝  寺の釣鐘の中で発見(冑)
③月代  白拍子(遊女)の装束で殺害
俳句の内容に見立てた「見立て殺人」の首謀者は?犯人は?関係者が多く登場して混乱するが、アガサクリスティの「そして誰もいなくなった」のトリックに近い・・とだけ言っておこう。   
*詳しくは原作かビデオを・・・* 
三日月のにほやかにして情けあり 高濱虚子
月光のつきぬけてくる樹の匂い  桂信子
芭蕉照らす月ゲルニカの女の顔  黒田杏子

はて月に匂いも感じさせる句もあれば、ピカソのゲルニカも出てきた。
さて月はどちらを向いているのだろう。
                          やんぬるかな!

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Posted on 2014/09/25 Thu. 08:15 [edit]

category: やんぬるかな

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