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空海が行く

俳句 猫 庭 のこと

やんぬるかな32 

  やんぬるかな32      工藤泰子
春暁の焼くる我が家をしかと見き   桂信子
まずは漢字の変換ミスに気付かず・・・
“鹿”は間違いです。しかとお詫び・・・
前回は宇多喜代子の著書「ひとたばの手紙から」の「女性俳人の見た戦争と俳句」の一部を紹介した。
 今回は戦時中の子規・鴎外・虚子・草田男・誓子・青邨・三鬼・草城などの俳句を紹介しよう。
出征兵士と俳句
行かば吾れ筆の花散る処まで   正岡子規
十万の常備軍あり国の春       〃
水洟に旅順を語る老女かな      〃
起重機や馬吊り上ぐる春の舟    森鴎外
秋近く蠅死すと日記に特筆す     〃
凱旋や元日に乗る上り列車      〃
 
日露戦争の軍医、「うた日記」明治四十年出版より
戦争と機会詩
 勇気こそ地の塩なれや梅真白  中村草田男
 海に出て木枯帰るところなし   山口誓子

有名な草田男の句は出陣の学徒へのもの、誓子の句は特攻隊員として出て行った若人へとして書かれた作品である。戦争は機会詩の現場だが、原初の限定は消え、普遍的主題となっている。読み手は単なる嘱目諷詠とは思わないが・・(文中より)
大寒の埃の如く人死ぬる     高浜虚子
銀杏散るまつただ中に法科あり  山口青邨
ねんねこや明るい方を見てゐる子 京極杞陽

素逝・赤黄男・桃史 三人は日中戦争に出征
「長谷川素逝」日中戦争の戦地詠・句集「砲車」が有名。
むし暑く馬のにほひの貨車でゆく  素逝
かをりやんの上ゆく貨車の屋根にも兵 〃
うれしまま戦禍の麦のくたるなり   〃
  鰯雲 流れ弾きて流れたり    赤黄男
  向日葵の貌らんらんと空中戦    〃
  一輪のきらりと花が光る突撃    〃

「片山桃史」赤黄男と同様「旗艦」同人 句集「北方兵團」
  兵疲れ夢を灯しつヽ歩む       桃史
  南京陥つ輺重黙々と雨に濡れ     〃
  屍らに天の喇叭が鳴りやまず     〃

新興俳句弾圧強化、日野草城は俳壇から身を引き「旗艦」は終刊。桃史はガリ転進中マラリアにて遅留(不明)
身のまはり清し花咲く待命期    桃史
戦後のベビーブーム世代の我等は「戦争を知らない子供たち」である。戦地で、前線で、検閲の中、命懸けの俳句が生まれたことを知った。
流弾に噛んで吐き出す梅の種   赤黄男
  いつしんに飯くふ飯くふはさびし 桃史

新興俳句事件 特攻に検挙され新興俳句は終焉
昭和一二年
   兵隊が征くまつ黒い汽車に乗り  西東三鬼
   新鮮な夕刊を買ふ風の中     日野草城
   勲章が顔いつぱいに迫りくる   仁智栄坊
   
 昭和一三年
   紀元節とほき巷をよぎる行進   石田波郷
   凱旋兵冬木騒然と影をどり    加藤楸邨
   射ち来たる弾道見えずとも低し  三橋敏雄
   銃後と言ふ不思議な街を丘で見た 渡辺白泉
  包帯を巻かれ巨大な兵となる     〃
  赤く蒼く黄色く黒く戦死せり     〃
  母の手に英霊ふるへをり鉄路   高屋窓秋
 
 昭和一四年
  戦争が廊下の奥に立つていた   渡辺白泉
  つひに戦死一匹の蟻ゆけどゆけど 加藤楸邨
 
 昭和一五年
  ことごとく冬日に顔を突き出し征く 石橋辰之助
 
 昭和一六年
  蝶墜ちて大音響の結氷期   富沢赤黄男
  月読に濡れるほかなき枯木たち  〃
    
    **
この海に死ねと海流とどまらず 波止影夫
降る雪に胸飾られて捕へらる 秋元不死男


最近出た本に「語る兜太」(岩波書店)がある。
金子兜太は95歳で、現役ばりばりの俳人!
《俳誌「海程」主宰、現代俳句協会名誉会長、朝日俳壇選者を努める。日本藝術院会員、文化功労者、詩歌文学館賞、蛇笏賞、菊池寛賞など受賞多数。句集に「少年」「遊牧集」「両神」「東国抄」「日常」他、著書多数・・・》
曼珠沙華どれも腹出し秩父の子   金子兜太
銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく   〃
湾曲し火傷し爆心地のマラソン     〃

「語る兜太」には“俳句との出会い”“出征と復員”“俳句専念”“「海程」を砦にー「社会性論争」「現代俳句協会の分裂・・・”などが綴られている。
《海軍経理学校に短期現役士官として入校、海軍主計中尉に任官、トラック島で二百人の部下を率いる。餓死者が相次ぐなか、奇跡的に二度命拾いし、復職。在職中は労働組合の専従事務局長を務めた。「窓際族」ではなく、『窓奥』の本店の金庫番。だから書けたと言う》   
「赴任した夏島は直前に米軍の空爆を受けていて焼き跡だらけ、二十年になると内地との交通も途絶え、食料難が深刻になる。自給自足でサツマイモを栽培し、トカゲでも虫でも何でも食べた。(文中より)」
復員は二十一年十一月で、最終の復員船で帰国。
水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る 兜太
「船が島を離れるそのとき、米軍の空爆で岩肌がむきだしになったトロモン山が見えました。その山のふもとに戦没者の墓碑があるのです。甲板に立って島を見守る私をその墓碑がずっと見ているように思いました。この島で死んだ人たち、その死者の皆がずっと俺たちを見送ってくれている。その時、そう思いました。(文中より)」

 この本の最後に、大木あまり、斉藤愼爾、宗田安正、中岡毅雄、黒田杏子(司会)の座談会があり、難解な句を少しずつ解してくれるが・・

 今年四月、秩父皆野町「椋(むく)神社」に建立の句碑
おおかみに蛍が一つ付いていた   兜太
「私は運に恵まれ、守られて今日ここまで存えております。戦地に赴くとき、母親が千人針で埋めたさらしの布に、ここ椋神社のお守りを収めて手渡してくれました。私がトラック島から生きて還り、今日まで元気でおられるのは産土の椋神社のお蔭です。トラック島での日々、餓死者がつぎつぎと出てくる状況の中で、ときどき夢の中に、ボーッとかすかな光が現れます。蛍だ。皆野の蛍だと思いました。昔から土地の人たちは両神山を敬い、この山には狼がたくさんいたと言われます。・・・この句は産土への想いと私の若き日の戦場体験、この両者の上に恵まれた句です・・・・・文中より」
 今まで全くと言って理解できなかった兜太の俳句だが、生死を分ける体験、背景、思想を知り少しわかった気がした。
  芭蕉親し一茶は嬉し夜は長し   兜太       やんぬるかな!
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Posted on 2014/08/26 Tue. 18:48 [edit]

category: やんぬるかな

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