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空海が行く

俳句 猫 庭 のこと

やんぬるかな31 

やんぬるかな31 工藤泰子
  蛍と息を合わせば忙(せわ)しない    佐滝幻太
  蛍呼ぶわれと思へぬ声出して   茨木和生
  死螢夜はうつくしく晴れわたり  宇多喜代子
 
前回は蛍の余韻と共に終わった。幻想的な蛍の光は、眼に映るというより、心中深く灯るものだ。
 宇多喜代子の著書に“女性俳人の見た戦争と俳句”「ひとたばの手紙から」(邑書林出版)がある。先生は昭和十年、山口県生まれ。祖父が軍人という家に育ち、父親は二・二六事件の翌年、昭和十二年に出征している。日中戦争へ出て行く兵士の壮行会は「おめでとう」一色で華々しかったそうだ。
先生が「太平洋戦争と俳句」を考えることは年来の懸案であった。終戦を迎えた時は十歳!それを体験として語ることはとうてい無理だと思っていたが、「成長するにつれ、母の袂にぶら下がっていた子供の私が十年という時間に見聞きしたものすべてはかならず戦争の前衛のどこかに接点をもっていることがわかってきた。体験の多寡を比較で考えないで、自分の戦争体験、その位置に身をおくことで充分・」そこでその位置からみてゆくことに決めたそうだ。
十二月八日の歴史躯(く)もて経し 竹下しづの女
ますらをの涙はかかる時流る
     大詔くだる今のただ今 吉井 勇
    おほみことのり四海に霜は暾(ひ)に溶くる 飯田蛇笏

朝日新聞の大見出し「帝国・米英に宣戦を布告す」この日は、戦略としての事情、月齢(二十日付近月夜)で、曜日(現地ー真珠湾の日曜日)だった。
翌年十九年の「俳句研究」一月号の文章と俳句が取り上げられているが、その俳句を挙げている。
現身に撃つ日来たれり霜の朝   前田普羅
かしこみて布子の膝に涙しぬ   富安風生
国起ちし日の一枚を剥ぐ古暦     〃

 「ひとたばの手紙から」は執筆の三年前、ニューヨーク市街のシー・クリフという郊外に住む従兄弟夫婦を訪れた時、知り合った一人のアメリカ市民から手紙を預かったのがきっかけである。手紙はある島の洞窟から持ち帰ったものと言う。彼が太平洋戦争を戦っていた自国の兵士を慰問するために出向いた島―〈沖縄〉でのことだ。さして珍しくもない日本兵士の遺した持ち物に手紙とみられるものがあった。彼が立ち去ろうとするとその“手紙の束”が声を発するのだそうだ!そこで後戻りをしてその手紙を持ち帰り五十年間秘蔵していた。そして運命の出会いとなり、ひとたばの手紙が託されたのだった。
「あなたはこれを渡すにふさわしい人のように思う。どうぞこれを日本に持ち帰ってほしい。きっと、この日本兵は無念の思い、望郷の思いの中で亡くなったにちがいない」・・・
手紙は奥さんからご主人への手紙で、宮崎県椎葉村の人だった。戦後五十年を経た手紙は、新聞社の句友に依頼したとのことだ。
【目次】は「シー・クリフの町で」「竹槍訓練」「大詔奉戴日」「十二月八日」「父の出征」「出征兵士と俳句」「戦争俳句」「戦争と機会詩」「素逝・赤黄男・桃史」「長谷川素逝」「富沢赤黄男」「片山桃史」「英霊」「軍事郵便」「文学報国会」「新興俳句」「新興俳句事件」「戦中の新人たち」「戦中の虚子」「戦火想望俳句Ⅰ」「戦火想望俳句Ⅱ」「南方戦線」「句集『日本海軍』「疎開」「女性たちの戦争俳句」「千人針と慰問袋」「本州空襲」「特別攻撃隊」「敗戦」「ふたたびシークリフの町で」あとがきによると、
「本書は、小さな私の体験に重なるおおきな戦争のことを思い出すままに辿り、そこに見えてくる「俳句の時代」を追体験したものです・・・・」

 さて”戦争を知らない子供たち”である我等が学生時代に親しんだのは、プロテストソングやフォークソングであった。カラオケの無い時代!ギターに合わせてジョーン・バエズの「ドナドナ」やボブ・ディランの「風に吹かれて」など歌っていたものだ。世はベトナム戦争の真っ最中(1960年から1975年)。今では懐メロだが、ザ・フォーク・クルイセダーズ(北山修と加藤和彦)の「悲しくてやりきれない」ジローズの「戦争を知らない子供たち」、井上陽水の「傘がない」、森山良子の「さとうきび畑」等・・・・
 さて本に戻ろう。「本土空襲」の文では、昭和20年徳山の海軍燃料廠の空襲で、先生の家屋敷は全焼、残ったのは門と土塀と井戸のみであった。空爆時間は70分、B29九十八機、投下した焼夷弾は718トン・・・・かの防空訓練は何一つ役立たなかったそうだ。田植の済んだ水田の中に焼夷弾が落ちてくる。幾百体の遺体が道ぞいに並べられた異様な風景・・・今でも死体の着物の柄や頭に巻いていた手拭の捩れ加減も、目の奥に克明に残っていると言う。
  春暁の焼くる我が家をしかと見き   桂信子
  かの壁にかヽれる春着焼け失せし   〃
  いつせいに柱の燃ゆる都かな    三橋敏雄 
     「特別攻撃隊」「敗戦」
  広島や卵食ふ時口ひらく      西東三鬼
  大露に腹割り切りしをとこかな  富沢赤黄男
  秋蝉も泣き蓑虫も泣くのみぞ    高浜虚子
  いくたびは哭きて炎天さめゆけり  山口誓子
  もう敵機も来ない菜虫をとつてゐる 下村槐太
  スコールの雲かの星の隠せしまま  金子兜太
  終戦日円から角に西瓜切られ   鈴木六林男
  敗戦日短距離走者並び立ち      〃

ただならぬ俳句が並んだ。“終戦日”と“敗戦日”の違いも読める。新興俳句事件など弾圧の時代もあった。今は自由な時代であることを痛感する。
俳句から飛んでしまったが、ジローズ(北山修・杉田二郎)の「悲しみは言葉にならない」の歌詞の一部を紹介する。(註 加藤和彦は2009年に自殺)
悲しみは言葉にならない/深すぎて/喜びもしみじみと噛みしめるもの/嗚呼生木を引き裂く熱い痛みは殺して/慎み深く涼やかに凛として・・/ひとこと「おめでとう」恩返しはいらない/天気はくもり、後に晴れ、明日も晴れ

ちなみにワールドカップの日本は残念だった。敗因は攻撃的でなかったから?決勝では天才メッシのアルゼンチンを制し、ドイツが優勝した。途中出場でゴールを決めた選手は「ゴールシーンは言葉にできない!」と語っていた。
 次回は戦時中の子規・鴎外・虚子・草田男・誓子・青邨・三鬼・草城などの俳句を紹介するつもりだ。
敗戦を恨みよろこび十三夜     三橋敏雄
焼跡は仰いで雁をむかへけり    石田波郷
  
        やんぬるかな!
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Posted on 2014/07/27 Sun. 20:52 [edit]

category: やんぬるかな

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