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空海が行く

俳句 猫 庭 のこと

やんぬるかな61 

やんぬるかな61  工藤泰子

前回は、遥照の元会員、内藤吐詩朗さんの宝船の句を紹介した。
  寝返りにゆらぐ敷き寝の宝船 内藤吐詩朗
寝返りぐらいの揺らぎなら、七福神の乗った宝船も、にぎにぎと目出度く船出をしたことだろう。この句は届いたばかりの句集「風の友」から抽出した。
さて「風の友」には、どんな思いが込められているのだろう。早速、「風」を辞書で引いてみた。
①空気の動き。一般に高い方から引く方に向かう水平方向の空気の流れを言う。
②人に対する社会全体の態度。
③ならわし。しきたり。風習。
 内藤さんの俳句を鑑賞するには、その経歴も少し探っておきたい。第一句集「野風増」(平成二三年発行)のあとがきを参照した。
五一歳、大阪茨木市の「南風俳句会」に参加、その後、五九歳でアメリカに転勤されるが、投句は続けておられたとのことだ。六九歳で、生まれ故郷の総社市に転居、「吉備路句会」の発展に貢献され、現在は引退、「吉備野」に投句されている。
俳名「吐詩朗」は、岡山弁で、「ずぶの素人」のことを「とーしろー」というのに因んで、若い頃名乗られ、今日に至っている。詩を吐くように作るとは、まるで子規のホトトギスの様だ。お洒落でウイットに富んだ俳句が生みだされる背景には、こんな風土があった。
「野風増」というと川島英五の歌が思い出されるが、「♪いいか男は生意気ぐらいが丁度いい・・
野風増!男は夢を持て・・・♪・」
風狂と言えば、山頭火も風の人だ。
  けふもいちにち風をあるいてきた 種田山頭火
風狂、風雅、風流とかの「風」も気になる。
「詩経」の六義(「賦・比・興・風・雅・頌」)の一つに「風」がある。風が、物を動かすように、人を感化するところから、民謡は、「風」と呼ばれる。風を容れる器は風貌?の「風(ふう)」だ。好き勝手に田野をわたる風!野風道(のふんどう)のやんちゃな風も、だんだん風格が備わってくる次第である。
  鉄棒にいどむ子のへそ風光る  吐詩朗(野風増)
  枯蓮の百態の風匂ひけり       〃
  山しづか猟犬の耳ぴくりとす     〃
 これらの、反骨と観察の行き届いた句柄は魅力的だ。
いよいよ「風の友」の風を探ろう。ここにも、風光る!の句がある。風光る!この季語には、希望がある。ヘソにもうなじにも、未来がある。
おくれ毛の車掌のうなじ風光る 吐詩朗(風の友)
  飛花落花風に戸惑ひ狂ひけり   以下同じ
 風に戸惑うのは、桜の花びらだけではない。風に寄せる思いは複雑。
青麦にからみつつ風渡りくる
風そよぎ植田の四角きはだてり
 総社の風が見えて来た。青麦のしっかりとした穂に風はからみつき、真四角な植田には、真四角な風と色が見えて来る。
  帰省子の薄き口ひげ風やさし
 お孫さんの句だろうか!風やさし・・その口鬚の本人もやさしい人柄と見受ける。
音のよき道筋えらぶ風鈴屋
 風鈴屋と言っても、通りに面した構えで、引き売りではあるまい。エアコンの時代になっても、人は風を音で確かめたいものだ。風鈴の素材やベロの長さで、涼やかな音はチエンジする。人が通ると風が起る。
団扇の手かんがへてゐる風の筋
 何を考えているのか・・手筋というと、囲碁、将棋。心の内を見透かされないよう団扇の動きも微妙だ。
  平らかな風に泛べる蜻蛉かな
 蜻蛉の滑降は水平である。平らかな風が似合う。
ここまで風の句を見てきた。五年前になるが、岡山俳人協会の会報「烏城64号」に「風の周辺」という文章を書いた。その風の俳句・・・ 
秋風や眼中のもの皆俳句     虚子
焚くほどは風が持て来る落葉かな 良寛
玉島の曹洞宗・円通寺には、若き良寛像が立っている。寺も持たず、托鉢をして、生涯無一物で通し、大愚と号し「無能の生涯」と自身が言いながら、心、魂、宇宙、自然という世界には、最も醒めていた人「良寛」に惹かれ、詩人の【加島祥造・「老子と暮す」】の文章を引用した。
【心にはマインド mindとハートheartがある。
世俗に長けている頭の働きはマインドの働きだが、良寛のように鳥の音に耳を傾けたり、風の音に天地の移ろいを感じたりするのはハートの働きである。魂が自然と全一になり、無為自然の境地であるからだろう。】
良寛はまさしく風の人だ。その書「天上大風」の碑が、玉島のホールにある。大風は慈悲と仏教的に解釈している。
 句集「風の友」からも、自在で普遍的な心を感じることができた。
  妻の推す補聴器と言ふ春支度
  啓蟄や土のかをりの漢方薬
  啓蟄や厨に匙の落つる音
ただごとの中に物語のある句が並ぶ。漢方薬のおだやかな効き目と啓蟄の取り合わせも絶妙だ。匙の落ちる音は補聴器が捉えたのだろうか?
蠟梅のくるむ天日ふくらめり
 蠟梅の花びらはお日様を包んでどんどん膨らんで来る。馥郁とした香りに包まれやさしい眼差になる。
探梅のゆるき歩みぞ老いけらし
 老いけらし・・老いを見つめる姿勢がある。梅の香は、急ぐ人には届かない。ゆっくり歩けば、見えてくるものがある。風が運んでくれるのだ。

 さて、遥照の本句会や浅口市俳句大会で、お馴染みの四国の涼野海音さんが、「俳壇」一月号の新コーナー「新・若手トップランナー①」に登場した。
新作十句「晴れ男」、文章の「自得の文芸」を一読し、さすがはトップを走る人だと納得した。「涼野海音作家論」は運河の編集長、谷口智行氏が書いた。谷口氏の独特の作家論は、ふっと、違う俳句の次元を覗かせてくれて、俳句の楽しみ方の幅が広がるものだ。
春寒し蛸せんべいに蛸透けて  涼野海音
次回は、これらの記事を紹介して、何が透けてみえるのか?春の訪れを待ちわびたい。やんぬるかな!
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Posted on 2017/01/24 Tue. 17:53 [edit]

category: やんぬるかな

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遥照1月号2017 

                  DSC_2101.jpg
山影のどつと被さる紅葉宿       佐藤宗生
草紅葉やさしく抱く無縁仏        花房柊林
研ぎすます風音立てし冬木立     甲斐梶朗
山峡の十戸を沈め霧の海        石津淡紅
旅人の旅情なぐさむ京しぐれ      中西八千代
励ますも叱るも独り空っ風         牧明子
大根引く穴そのままに暮れにけり    山崎靖子
小柄なる祖母茶の花を手折り来し    竹地恵美
葱だけは裏木戸近くに二三本      古川澄子
実千両活けて脇役とも言へず      森脇八重
通訳の箸とどこほる年忘れ        森靖子
神鈴や里の清しき初景色         原房枝
新藁の匂ひが嬉し注連作り        久戸瀬孝子
雨乞いの龍の瞳やもみじ燃ゆ      藤沢絹子
畑を打つ農夫の背なにある小春     虫明有菜
根深食めは頭よろしと祖母笑ふ     柚木寿代
山里の一人住まひや吊し柿       山下卓郎
天空の城に真綿の冬の霧        中西登美
亡き母や遠くて近き露葎         浅野陽
日をかけて描き終わりし柿を剥く     南みどり
団栗の落ちて弾める砲弾碑        工藤泰子

Posted on 2017/01/04 Wed. 12:17 [edit]

category: 遙照

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やんぬるかな60 

やんぬるかな60  工藤泰子
 「やんぬるかな」が60回になる。「遥照」は毎月発行なので、五年間休まず書いてきたことになる。最初に書いた「やんぬるかな1」は、こんな調子の“笑える力作”だった。少し振り返ってみよう・・。
「はひふへほー!」これはいったい何?子供に人気の漫画に出てくるのだが、何故「なにぬねの」ではないのかな。・・・答はやなせたかしさんの漫画「それ行けアンパンマン」のバイキンマンが登場するときの雄叫びだからだ。退散する時には「バイバイキン!」となる。人気の悪役キャラのバイキンマンは黴菌を撒き散らす「ハエ」だからハ行で・・。とこんな調子!
しかし、真面目に「いろは歌」も紹介している。
“色は匂へど 散りぬるを 我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず“
作者は、空海とも柿本人麻呂とも言われているが、47文字使い切って見事だ。47というと、おニャン子クラブ47名/赤穂浪士47士/AKB48は?一人多いのが狙いか?・・この号の文章は、漢字の【己んぬる哉。これからも日本語と俳句の間をうろつくつもりだ】で終わった。
 「やんぬるかな2」では、上から読んでも下から読んでも同じ=回文を紹介した。
虫置きし土間のその窓子規惜しむ  井口吾郎
   ポポンタポポンタタンポポタンポポ  〃
回文の傑作に「宝船」がある。初夢を見るとき枕の下に敷く縁起を担ぐもので、宝船(帆掛け船・七福神・米俵・宝貨)の絵が描いてあり、聖徳太子の作と言われている歌(回文)が添えられている。長寿、なみのり(実り)舟(不音)などの掛け言葉もあり高度な技術が駆使されている。
長き夜の遠の眠りの皆目覚め
波乗り舟の音のよきかな
ながきよのとおのねむりのみなめざめ
なみのりふねのおとのよきかな
 この様な言葉遊びも楽しいが、俳句を作るには、「季語」の力と魅力を理解する必要がある。
昨年一月、茨木和生著「季語を生きる」(邑書林出版)が出版された。第十一回俳人協会評論賞を受賞した「西の季語物語」(1997年)、「季語の現場」に続き“俳句の本質に迫る現場の声!”が届く本だ。まるで「社会学」「文化人類学」などのフィールドワークの様な行動力の先生は、環境問題にも向けられ、「吉野の桜」・「那智の滝」を守る会を推進されている。
出版にあたり、編集長の島田牙城(和生先生の高槻高校の教え子)が、「『続・季語の現場』という題ではいけません。『季語と生きる』では弱い。『季語を生きる』としたらどうですか?」と提案してくれたので、「・・いいねえ!」とこれに決まった経緯が、あとがきにある。
さて著書「季語を生きる」の「新年の季語」から、珍しい季語のいくつかを見てみよう。
【私(茨木和生)が詠んでいる新年の季語は七十ちかくあるが、生活様式がどんどんと変わってゆき、少年時代に体験していた行事や慣わしなどもずいぶんとなくなってきている。季語の「蓬莱」もその一例である。公団住宅やマンションに暮らしていたころ、「蓬莱」という季語で作句することなどはなかった。せいぜいが三方(さんぼう)に羊歯(しだ)を敷いて鏡餅を据え、昆布、串柿、橙を置く餅飾りをする程度だった。季語のある暮らしをしてみたいと思っても、時間的な経済的な余裕がなかった時代だったからである。
定年になって、時間の拘束から解放され、松の内の間に漁村や山村の民宿に泊まって吟行する機会に恵まれるようになった。正月の漁村に行けば、その集落の祭礼の神事宿である頭屋(とうや)の家を訪ねて、みごとな蓬莱飾りを見せてもらったりした。
   蓬莱の栄螺の吐きし潮かな  和生〃
   蓬莱の鮑の痩せを嘆きけり  〃】
 忘れられそうな古季語を甦らせる活動もしている先生だからこそ、出会える季語の現場!だ。次に
【正月ならではの季語「初詣」は神社や寺に出かけないと佳句を得ることはできない。しかし、表面だけ見ていると、類想、類似の句になってしまうのも「初詣」の句である。初詣に出かけていってそこで出会う「季語」を歳時記であらかじめ調べておき、その季語の現場に立ち会って句を作ることが大事である。・・中略・・私が季語「宝船」に関心を持ったのは、下賀茂神社や錦天満宮で実際に宝船を買い、それを枕に敷いて寝たという体験をしてからである。
  泥描きをしたる日輪宝船   茨木和生
  青々の直筆といふ宝船      〃  】
 今年の「ユーキャン新語・流行語大賞」は、「神ってる」だった。言葉を発したのは、広島カープの緒方監督だが、受賞したのは25年ぶりのリーグ優勝の「神がかっている!」シーンの立役者、鈴木誠也選手である。「神ってる!」とは、若者言葉なのだが、これで、完全に市民権を得ることとなった。スタジアムを埋め尽くしたファンの祈りが言霊となって天?に通じた結果だろう。神った鈴木の年棒は三倍増になったそうだ。
一方、サッカーのファジアーノは残念な結果に終わった。ボールがゴールを揺らすか掠るか?ピンポイントの神の計らい?今年の活躍を期待しょう。
 もともと日本人は慎み深いところが美徳であった。他人に向かって、あからさまに非難する「言挙げ」「言向け」はしない。なぜなら、言葉には呪力があり、声に出して言い立てると、他人を本当に傷つけることになると恐れていたからだ。万葉集の柿本人麻呂の歌に
「葦原(あしはら)の瑞穂(みづほ)の国は神(かむ) ながら言挙げせぬ国」がある。
その悪しき例として、「ヤマトタケルが伊吹山の神の出現に対して退治に出向いた時、 突然現れた白猪(実は神)を神の使いだと見誤り、素手でやっつけてやろうと「言挙げ」をした為、神の怒りに触れ、病に罹り命を落とす結果になった。」がある。
 
お正月には特に縁起のいい言葉が喜ばれる。子供時代の記憶に「おしし」がある。悪魔祓い、飢饉や疫病を追い払う獅子舞のことだ。ぎらぎら光る金歯を開けて、ガブリと噛むので、逃げ回ったが、「噛みつくと神が付く」縁起かつぎとは知らなかった。
獅子舞の来て村ぢゆうが動きだす  鷹羽狩行
舞ふ獅子の口にくはへし新紙幣   白神知恵子
獅子頭はづし携帯電話受く     馬場公江
  コイン切れ仕掛け獅子舞そつぽ向く 久松久子
 久松久子さんの句は、句集「笑って五七五」(滑稽俳句協会叢書)の句である。コインで動く獅子舞は「金」の切れ目が「運」の切れ目かと笑ってしまった。
 軽くも重くも軽みも深みも俳句はさまざま。
今年も目出度く始めたい。
  寝返りにゆらぐ敷き寝の宝船   内藤吐詩朗
  神官のこゑの歯切れや淑気満つ    〃 
 遥照の元会員、内藤さんの届いたばかりの句集から選んだ。次回には、その句集「風の友」にどんな風が吹いているか鑑賞したいと思う。
             やんぬるかな!

Posted on 2017/01/04 Wed. 11:34 [edit]

category: やんぬるかな

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