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空海が行く

俳句 猫 庭 のこと

やんぬるかな55 

やんぬるかな55  工藤泰子
生死事大蓮は開いて仕舞けり   夏目漱石
「近代文学を確立した明治の文豪」夏目漱石の正岡子規との出会いは、第一高等中学校であった。子規の「七艸集(ななくさ)」評に漱石の署名がある。  
33歳の時、高浜虚子の勧めで、「吾輩は猫である」を「ホトトギス」に連載、作家的出発をする。
39歳には
「木曜会(漱石山房)」がスタート、門下には寺田寅彦・久米正雄・芥川龍之介などがいた。「坊つちゃん」「草枕」はその頃の作品だ。朝日新聞社に入社後は「虞美人草」を連載、本格的作家スタートとなる。「三四郎」「それから」「門」は前期三部作と呼ばれる。
43歳の時、大患(胃潰瘍で大吐血)を経験し、後期三部作「彼岸過迄」「行人(こうじん)」「こころ」を著した。則天去私の境地を目指すも49歳で死去、「明暗」は未完となった。
いまごろは、上野の不忍池に、蓮が咲いているだろう。物語の生死と現実の生死・・仕舞けりの下五に苦悩も見て取れる。
 その漱石を語るには、その名前【漱石】を理解しなければならない。本名は金之助、生後まもなく里子に出され、また別の家の養子になるなど不遇だった。本来なら、“漱流枕石”「石に枕、流れに口を漱ぐ!」と言うところを、“漱石枕流”と間違って言ったのを、「流れを枕とするのは耳を洗うためさ。石でうがいをするのは歯を磨くためさ!」と開き直り、負け惜しみをした中国の故事に因んでいる。
もう一つ掘り下げると【伝説の聖人許(きょ)由(ゆう)が堯(ぎょう)帝から天下を譲られようとした時、「汚らわしいことを聞いた」と、潁(えい)水(すい)の畔におもむき、流れで自分の耳を漱いだ】【世俗的な栄達を避けること】なのだそうだ。

デビュー作「吾輩は猫である」の苦沙弥先生(漱石)の猫(吾輩)の負け惜しみも半端ではない。自分の境遇と同じ?“捨て猫=吾輩”に語らせる人間世界のあり様は風刺が効いた小気味よい文章だ。
《吾輩は猫であるけれど、エピクテタスを読んで机の上に叩きつける位な学者の家に寄寓する猫で、世間一般の癡猫、愚猫とは少しく撰を殊にして居る。此の冒険を敢えてする位の義侠心は固より尻尾の先に畳込んである。》《猫賢うして鼠損ふと云う格言はまだ無い》・・・
この小説は人気を博し、病床の子規を喜ばした。英国留学中の漱石は神経衰弱ぎみで”猫“の続きを書けなかった。後に書いた中巻(明治38年9月)の「序」に子規の手紙と、追悼句を挙げている。
《僕ノ目ノ明イテル内ニ今一便ヨコシテクレヌカ。・・実ハ僕ハ生キテヰルノガ苦シイノダ(子規)》
長けれど何の糸瓜とさがりけり  漱石
どっしりと尻を据ゑたる南瓜かな 〃

猫“と共に併せて地下に捧げる。
この俳句は、子規の絶筆三句に、呼応している。
   痰一斗糸瓜の水も間にあはず   子規 
            
 さて5月27日、広島にオバマ米大統領>が訪れた。平和記念公園で献花をし、被爆者代表に会った。その演説と様子は全世界に発進された。翌日の新聞には演説の全文が英語と日本語で掲載された。(一部を)
 『8月6日の記憶は消えてはならない』
「キノコ雲に人類の矛盾」
 
71年前のよく晴れた雲のない朝、空から死が降ってきて世界は変わった。閃光と火の壁が町を破壊し、人類が自らを滅ぼす手段を手にしたことを示した。
 我々はなぜ広島を訪れるのか。それほど遠くない過去に解き放たれた、恐ろしい力について思いを致すためだ。・中略・・。広島と長崎で残虐な終わりを迎えた世界大戦は、最も豊かで強大な国の間で起きた。彼らの文明は世界に偉大な都市、素晴らしい芸術をもたらしてきた。思想家は正義と調和、真実という概念を発展させてきた。しかし戦争は初期の部族間であった支配や征服と同じような本能から生まれてきた。新たな能力が、支配欲や征服欲が争いを呼ぶという古くからの構造を増幅させた。・中略・・世界各地には勇敢で英雄的な行動を伝える記念碑や、言葉には言い表せないような邪悪な出来事を反映する墓や空っぽの収容所など、戦争を記録する場所が数多く存在している。
 しかし、この空に上がったキノコ雲の姿は、人類が持つ矛盾を強く思い起させる。我々を人類たらしめる思考、想像力、言語、道具を作る能力、我々を自然と区別し、自然を自らの意志に従わせる能力は、大きな破壊的な力も生み出した。
「広島は真実を告げている」(略)
「恐怖の理論から逃れよ」(略)
「我々が選びうる未來」
 
私の国の物語はシンプルな言葉で始まる。「すべての人は平等で、神によって生命や自由に加え、幸福を追求する譲歩不可能な権利を与えられている。」・・・この物語を実現することは、努力に値する。それは努力して、世界中に広められるべき理想の物語だ。我々全員は、すべての人間が持つ豊かな価値やあらゆる生命が貴重であるという主張、我々が人類という一つの家族の一員だという、極端だが必要な観念を語っていかなければならない。・・・ここ広島で、世界は永遠に姿を変えてしまった。しかし今日、この町の子どもたちは平和の中に生きている。なんと貴重なことか。それは守られるべきことで、世界中の子どもたちが同じ平和に過ごせるようになるべきだ。それが我々は選びうる未來だ。・・・・広島と長崎は、核戦争の夜明けとしてではなく、我々の道義的な目覚めの始まりとして記憶されるだろう。

             
 テレビ中継でドームを見上げるオバマさんを見た時、次の句が浮かんだ。
薫風の今吹き抜けるドームかな  工藤泰子 
俳句は「今」を詠む文芸なので、普通は「今」は使わない。それを承知で、「今」を入れたのには、七〇年の思いがあるからだ。青葉を吹きわたる風が、スケルトン(骨組み)だけになったドームを抜けて行く。千の風なのか・・・と感傷的になった
 さて72回目の原爆忌が来る。
原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ 金子兜太
立ち上がる直射日光被爆者忌     三橋敏雄
ひろしま忌一基の墓を母校とす    赤松蕙子
原爆忌路面電車のゆらめき来     西村和子
その未明焼かれし我が家原爆忌   稲畑汀子
子を抱いて川に泳ぐや原爆忌    林徹
雀しきりに砂を浴び原爆忌      鷹羽狩行
手がありて鉄棒つかむ原爆忌    奥坂まや
広島忌振るべき塩を探しをり     櫂未知子
長崎忌近き夕べは羽蟻満つ     有馬朗人
原爆の日の洗面に顔浸けて     平畑静塔
 
原爆忌の句をいくつか挙げてみた。なんでもないように見える次の句が、心に響いた。
キャラメルの赤き帯封原爆忌  吉村明
清水哲夫さんの評に、「作者は、原爆で亡くなった無数の子供たちを追悼しているのだ。キャラメル一つ口にできないまま死んでいった彼らに、せめてこの「赤き帯封」を切らせてやりたかった、と。」
もうすぐオリンピックが始まる。平和の祭典となってほしいものだ。
          やんぬるかな!
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Posted on 2016/07/28 Thu. 06:29 [edit]

category: やんぬるかな

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空と海 

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Posted on 2016/07/09 Sat. 09:11 [edit]

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遥照7月号2016 

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一匹の仕掛けのありて蝉しぐれ  佐藤宗生 
滾々と少年の眼に泉かな    花房柊林      
構へだけ見せて動かぬ雨蛙   甲斐梶朗      
巨大地震速報高菜茹で溢し   石津淡紅 
梔子やきりだせぬこと綴りゐて 中西八千代     
母と娘のリボンの同じ夏帽子   山崎靖子          
軒下を猫伝ひゆく梅雨の昼   竹地恵美
人声をつなぎて橋の上の蛍     牧明子      
水張り田倒立してる一軒家   古川澄子      
子等はみな夢見る頃や月見草  森脇八重       
目はいつもふる稼働して袋掛   原房枝        
紫陽花の映る水玉雨模様   森靖子   
輝ける物の一つにゆすらうめ  土屋鋭喜       
独りにはひとりの時間新茶汲む 久戸瀬孝子      
家主待つ梁に並びし燕の子  石井弘子   
父の日や昔話に相槌を     柚木寿代  
十薬はわずかに荒れし庭に適ふ   山下卓郎   
麦秋の貨車の揺らして日の暮れて 中西登美   
新緑の上を透かせて雲流れ    南みどり       
虫たちの花粉まみれや薔薇の花  工藤泰子

Posted on 2016/07/06 Wed. 15:05 [edit]

category: 遙照

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