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空海が行く

俳句 猫 庭 のこと

やんぬるかな48 

やんぬるかな48  工藤泰子
  明けましておめでとうございます。
さて今年は申年!猿の活躍する話から始めたい。
岡山と言えば「桃太郎」そのお供には「猿」!
「むかしむかしお爺さんとお婆さんがおった。お婆さんが川で洗濯をしょうると、大きな桃が流れて来た。」桃太郎の昔話の岡山弁バージョンである。
「桃太郎伝説」の最有力候補の岡山だが、桃の産地になったのは、明治以降なので、桃が流れ着くのは強引な気がする。むしろ、古代吉備国が黍(キビ)の多産地であったこと、「キビ団子」で、お供を誘うリクルート(求人)をしたと言う方が説得力がある。
「温羅(うら)伝説」では、大和朝廷から派遣された天皇の皇子“吉備津彦命”と百済の王子“温羅”が吉備国(今の総社の辺り)で熱い戦いを繰り広げたとある。吉備路一帯には、「鬼ノ城」「鬼の釜」「矢喰宮」「鯉喰神社」など、戦いの舞台とされる伝説があり、「吉備津神社」には桃太郎のモデルの“吉備津彦命”が祀られている。
「桃太郎は大きゅうなり、ぼっけー強うなった。お婆さんにきびだんごを作ってもろうて犬、猿、雉を引き連れ、鬼が島へ鬼征伐に雉は鬼をつつきまわり、猿はかなぐりまわり、犬はかみ付きまくった・・」
雉と犬と猿が選ばれたのは何故だろうか?これら三家来こそ、鬼に勝つ為に選ばれた精鋭なのだ。
【陰陽道】では、方角を十二支に当てて言う時の丑と寅との中間の方角=丑寅(北東)が鬼門といわれ、禍をもたらす鬼が住むと考えられていた。そこで鬼と戦う場合は、裏鬼門(逆方向)の酉=トリ(雉)、申=猿、戌=犬、が正面切って戦えると信じられたからだ。
中国では、「西遊記」がある。実在した唐の僧、玄奘がインドから仏典を持ち帰る際の苦難の旅行記を素材にしている。三蔵法師(玄奘)のお供は沙悟浄(河童)、猪八戒(ブタ)、孫悟空(猿)の三匹?である。孫悟空は超能力の猿で、頭の緊箍児(きんこじ)という輪で暴走を食い止められている。アニメ「ドラゴンボール」も同様で、悟空が主役で活躍する。猿の中でも、一番のヒーローと言えよう。
他にも猿の諺やお話をみてみた。「猿の水練、魚の木登り」、「猿も木から落ちる」、「猿に烏帽子」、
【猿の尻笑い】=自分の欠点に気づかずに、他の欠点を馬鹿にすること、
【猿猴取月】=身分不相応な大望を抱いて破滅する※猿が井戸に映った月を 取ろうとして水におぼれたという故事
【朝三暮四】=巧妙な手段でごまかすこと
※中国の春秋時代、宋の狙公が猿に、朝3つ、暮れに4つのトチの実を与えようと言うと猿が怒ったので、それなら、朝4つ、暮れに3つにしようと言ったら喜んだという故事から。現代中国では、考えや方針が定まらなくてあてにならない意に使う。
 ところで、三人寄れば文殊の知恵ではないが、三匹寄れば賢い「三猿」がいる。それは言わずと知れた「見ざる言わざる聞かざる」の三猿で、日本では、左甚五郎作と伝える日光東照宮のレリーフが世界的に有名だ。「Three wise monkeys」「wise¬=賢明」と訳されている。「三ざる」は、日本語の語呂合わせからして日本が発祥と思われるが、そのモチーフは古代エジプトやアンコールワットにも見うけられる。インドのマハトマ・ガンディーは常に3匹の猿の像を身につけ「悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな」と教えたと言う。
俳句の冬の季語に「納(おさめ)の庚申」「初庚申」がある。庚申信仰は、日吉(ひえ)大社を本尊とし、猿を神使とする山王信仰と習合したのではないだろうか。「申」は「猿」と繋がる。飛騨の人形“さるぼぼ”や“くくり猿”は魔除けで人気だ。
庚申待・庚申は、年に六度か七度ある干支の庚申の日(六〇日目ごと)のに行われる信仰行事である。人間の体内にいる三尸(さんし)(道教で人の腹の中にすむといわれる三匹の虫のこと)が庚申の夜に人が寝ると体内から抜け出して、天帝(梵天帝釈)に告げ口をするのだそうだ。その日は、夜通し、経を読み、歓談して夜を明かす。今は夜中もコンビニがある時代・。眠らない夜ばかりになった。
仏教では青面(しょうめん)金剛を、神道では猿田彦大神の像を刻んだ庚申塔には、三猿の彫刻が付いている。これは取りも直さず、三尸に、「悪い事は何事も見ざる、聞かざる、言わざる」としてもらいたい!「告げ口をしないでくれ!」と言う願望の表れなのだ。
 さて一年の始めだから「何を書こうか!」と悩んでいたら、玄冬舎新書の広告に目が止まった。
【必ず書ける「3つが基本」の文章術】
著者はベストセラー「書くことが思いつかない人のための文章教室」  コラムニスト近藤勝重さんだ。
 宣伝を見ただけで、判ったつもりになってはいけないが、「コツは3つを意識すること」だそうだ。
「①遠景②近景③心模様」
「①体験②気づき③普遍性」
    
詳しくは本を購入してから・・・・・
 最近、テレビ番組で、ピース又吉のデビユーのきっかけになった?芸能人の「俳句の格付け」が人気で、密かな俳句ブームになっている。まず、先生の夏井いつきさんが、痛快に俳句をこき下ろし、“名人”“凡人”“才能なし”を査定する。その後、思い切った「添削」で駄句が名句に劇的変化を遂げる。 “才能あり”の名句の基準は、先に挙げた「3つのコツ」を踏まえている。俳句入門に良い番組だと思う。
 昨年の十二月は次の句で締めくくった。
枯蓮のうごく時来てみなうごく  西東三鬼
※岡山県津山生れ(1900~1962年)新興俳句運動。日本歯科医専卒。シンガポールで歯科医「京大俳句事件」で検挙。現代俳句協会設立、戦後「天狼」「断崖」を創刊。句集「夜の桃」
 この句を鑑賞しようとすると、蓮の性質や仏教との関連も気になるが、ここでは眼前の枯れきった蓮の葉や茎がわさわさと動き出す場面を感じたい。時代背景からして、戦没者のことが頭を過ぎる。枯蓮は亡霊の様だ。「うごく時」の意味の簡単な鑑賞は控えたい。観念で捉えてしまうと危険だ。リフレインが耳に残るが、その動きは心を騒がせた。
好きな句の鑑賞は思い入れが深くなりがちだ。

 ここで「目からうろこ」の鑑賞文を紹介したい。「深海」主宰の中村正幸先生の「雑想雑粿」の「楸邨俳句を読む」(その四十)の文章の一部・・。
  世界に対す吹いて割り吹いて割り石鹸玉
                  加藤楸邨

「怒濤」所収。「吹いて割り」の措辞には、しゃぼん玉が自然に割れるのではなく、何か意図的なものを
感じる。自分の作り出した美しいものを自分の意志で割る。そこには世界に対する普通ではない怒りがある。「吹いて割り」のリフレインも、心の中の怒りの増幅とも考えられる。自分の発した怒りの言葉に影響されて人の怒りが増すように「吹いて割る」行為によって、自分自身の心が煽(あお)られてゆくのである。そして七五五五の破調と二十二音という字余りは、形を崩すことによって、前述の怒りを決定的とする働きを持っている。更にリズムの悪さも内容を印象的に心に残す働きをしている。
 中略・・「世界に対す」とした楸邨の思いの強さ、大きさを思わずにはいられない。・・・・・・
※加藤楸邨(1905~1993)は水原秋桜子に師事、「寒雷」主宰、安藤次男、金子兜太など多くの新人を育てた。人間探究派と呼ばれた。

  白息は追憶の色ひとり見る 中村正幸
  冬滝の音氷らねば氷らざる  〃    
 
   やんぬるかな!
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Posted on 2015/12/30 Wed. 15:59 [edit]

category: やんぬるかな

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遥照12月 

                   DSC_0651.jpg
  懐手していゐる顎が指図する  佐藤宗生
  波音の雁木を洗ふ十三夜      花房柊林
  吾亦紅よりの一声聞き漏らす   甲斐梶朗
  冬に入る島をつなぎて斜張橋   竹地恵美
  木の実落つ底ひの知れぬ隠れ沼  石津淡紅
  冬晴の約束ひとつ残しけり    山崎靖子
  芋煮会歳をとる事知らぬ人     牧明子
  夕茜風がなでゆく紅葉山     川崎照女
  大水の溜りに揺れる十三夜     光岡早苗
  能面のかすかな翳り十三夜   中西八千代
  湯豆腐の小さく揺れて妣の声   田中愛
  矢も尽きしい軍場のごと蓮の池   古川澄子
  小春日や軒に薬草乾く音    森脇八重
  本題を切り出すまでの温め酒    土屋鋭喜
  参道の踏むをためらう散紅葉   原房江
  秋落暉カーブミラーに吸い込まる  森靖子
  針穴に通せし糸の夜寒かな   久戸瀬孝子
  うたた寝の夫に声掛く夜寒かな   石井弘子
  かがやきも時の流や木の葉髪    徳永保美
  渓流に抗ひもせで浮く紅葉    柚木寿代
  へぎ板の茶福かむしむ冬座敷   山下卓郎
   天空の大パノラマの蕎麦の花   中西登美
  墨で描く赤き柘榴の割れゐるを    浅野陽
  デパートに鏡の多し木の葉髪    工藤泰子
 

Posted on 2015/12/08 Tue. 19:47 [edit]

category: 遙照

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