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空海が行く

俳句 猫 庭 のこと

島村正句集「不壊」鑑賞 

島村正句集「不壊」鑑賞  工藤泰子
「不壊」ご上梓おめでとうございます。
 ネット句会「木偶の会」で、第十四句集「不壊」を紹介させて頂いた。木偶の会は、六年目になるが、
二年前には「句集あれこれ」のカテゴリーで「一億」を取り上げている。細部から全体へと、眼前から宇宙へと広がる世界にはいつも圧倒されている。
一億の蟹の念佛雲の峯      島村正(一億)
ででむしに火急のときもありぬべし  〃
自然界からの啓示を目の当たりにして、心を揺さぶられる句ばかりだ。
今回の句集「不壊(ふえ)」では、桜色の帯に「人間に不壊の魂さくら咲く」があり、これが句集名なのだと悟った。「さくら」は、浅間大社の祭神「木花開耶姫(このはなさくやびめ)の「さくや」から転化したという説がある。ご神体は富士山である。富士、不二、不死・・「不壊」と「さくら」が繋がった。
香車にも桂馬にもなる水馬    島村正
最近の将棋ブームで、将棋の駒の動き方、動かし方が思われるところだ。あめんぼうの動きを よく見ると、確かにひょいと桂馬の様に跳ぶ時がある。水馬と字面まで合わせて、これは王手だと感心した。
凹凸の凸にて蟻の立ちあがる  島村正
実は「木偶の会」では、「凸凹木偶の俳句あれこれ」で、メンバーの俳句を毎月公開している。凸の句も、凹の句もあるが、一括りにならないのが強みで、原動力なのである。さて、この句の蟻はどうだ!“蟻に立ちはだかる壁”とは、言わず“凸”と言った。まるで現代アートの様に抽象的な表現だ。凸にて立ちあがる!発見である。この句の啓示しているところは大きい。多いに勇気をもらった。
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Posted on 2018/02/15 Thu. 09:49 [edit]

category: 句集の感想・鑑賞

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15

遥照2月号(2018) 

               DSC_3114.jpg
農具みな並べ二日の飾り塩   佐藤宗生
風もまた時を刻めり破れ蓮    花房柊林
冬すみれ海の色にもたぢろがず 甲斐梶朗
玉取の海女のことなど龍の玉   石津淡紅
海見ゆる丘に佇む探梅行     中西八千代
人日や生きて道草廻り道     牧 明子
偏差値ととんと無縁の寒雀    古川澄子
おほかたは厨が居場所年暮るる  森脇八重
風花の浮きたちてをり焼板塀    森 靖子
雪踏めり轍跡なき裏通り      竹地恵美
左義長や火伏せのホース持つ人も  瀧口和代
しばらくは菩薩になれる初日の出   原房枝
単線の往復切符冬うらら       久戸瀬孝子
公園の遊具へ落葉吹きだまる     大室瀧子
遮断機の音に急かさる年の暮     山下和子
迷ひ道冷たく照らす冬の月     徳永保美
賀状書く蘭亭帳をかたはらに   石井弘子
山ふたつ向かうの話雪をんな   土屋鋭喜
温泉に肩まで浸かる年の坂    山下卓郎
駅までの近道を行く年の暮     南 みどり
角界の話ふくらむ鰭の酒      工藤泰子

Posted on 2018/02/06 Tue. 14:07 [edit]

category: 遙照

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06

やんぬるかな73 


やんぬるかな73  工藤泰子
俳人協会の大串章会長が新設した、第一回新鋭俳句賞が発表され、高松の涼野海音さんの「初旅」が準賞に選ばれた。大会や句会でお馴染みの海音さんの快挙を多いに喜びたい。
父の日の切り岸を石落ちゆけり  海音
ゆふぐれの一木と春惜しみけり   〃
いまさらだが、海音さんの受賞歴を挙げておこう。石田波郷新人賞・星野立子新人賞・北斗賞・俳句四季新人賞と、あらゆる新人賞を受賞している。まだ取っていないのが、俳句協会新人賞だったのだが、この度めでたく新鋭賞の準賞受賞を果たした。
インターネットの「増殖する俳句歳時記」に、次の句がある。句集「一番線」より藤嶋務さんが選んだものだ。この句に何を見つけたのだろうか?
金色の鳥の絵のあり冬館   涼野海音
【金色の鳥とは何だろう。またいかなる佇まいの館なのだろう。二つの具体的提示もそれから先は読者の想像に委ねられる。まず絵のある館は冬木立に囲まれてひっそりとしている。窓の外には落葉が積って、見通しの良い木立の間を小鳥たちが飛びかっている。私の想像は勝手に巡り階段途中に飾られた立派な額縁の絵画へ向かう。映画のシーンの残影かも知れぬ。さて金色の鳥が思い着かない。黒なら鴉で決まりだが金色となると。ヒワやオウムやアマサギは黄色に映るが金色ではない。頭の中が乱反射して鴉が絶滅危惧種になる事があるや否やなどと混乱の域に入った。心が空になった次の一瞬、ふっと手塚治虫の火の鳥が羽ばたいて心に収まった。(藤嶋務)】・・・以下略。
海音さんは、決して難しい言葉を使わない。まるで難解なパズルが整然と箱に納まる様に、おのおののパーツが絶妙に絡みあい、いつの間にか美しいハーモニーを生みだし、物語が成立している。
彼のFBでは、毎日の昼食のうどんがUPされ、ブログ「俳句魂」には、応募句の状況の報告がある。その応募数も読書量も膨大で、自慢をすればと思うが、「低テンションでブログ連載中」と、謙虚極まりない書き様だ。また、“スピカ”と言う俳句ウェブマガジン(江渡華子・神野紗希・野口る理の企画編集)の海音さんの俳句と文章を覗くと、カテゴリーは「平凡主義」とあった。敢て平凡主義!と言うからには・・検証してみなければいけない!
トンネルの上に墓あり百千鳥  海音
「やはり旅は鉄道。最短の時間で目的地に到着するより、各駅停車で車窓の風景をじっくり味わう方が好きです。名前を知らない山や川、田んぼや畦道など、無名の風景と対話しているうちに一句浮かびます。」
 卒業やガードレールの先は海  海音
「家の近くに学校があるせいか、卒業や入学の季節を意識してしまいます。学校の門からは賑やかな声がよく聞こえます。励ましたいのと同時にこちらが励まされるような声です。」
 これは、決して平凡ではない。トンネルと墓と百千鳥!卒業とガードレールと海!この絶妙な計算には、「予定調和」と言わせない非凡が隠されている。 
その海音さんの今現在の所属結社は「晨(しん)」である。先日、三岸節子の「花」の表紙の1月号(第203号)を贈呈して頂いた。「晨」は昭和59年に創刊された同人誌で、約140人の会員は、代表の大峯あきら・茨木和生・岩城久治・草深昌子・田島和夫・山本洋子先生など著名な俳人ばかりである。
草深昌子さんのブログから引用させてもらうと、
【創刊号は、梅原猛氏と大峯あきら氏の濃密な対談に頁を費やしている。詩と哲学について世界的規模で論じながら、ついには「俳句は自我の詩ではなく、存在の詩である」という大峯あきら氏の発言に至ると、梅原猛氏が「これはすばらしい第二芸術論以来の大理論やで」、と驚嘆される・・・】
「晨」とは、「太陽がふるいたってのぼるあさ。」と言う意味なので、その意味を強く感じた。
【「晨」は結社を横断するというか、結社とは別の原理を作りたいというものであった。タテとヨコとがうまく調和して働くなら、作家としての向上にプラスするところがあるのではないか。】とある。さすがに、作家も作品もすごい俳誌である。
『晨』の同人作品から一部を紹介する。
九天を飛ぶ正月の落葉あり    大峯あきら
竹馬のうしろ一輪車の弟     浅井陽子
柴栗や山の日差は苦にならず   茨木和生
元伊勢の杉雫して淑気満つ    岩城久治
秋風を鍵屋の辻に聞きにけり   小畑晴子
コスモスのための風かと思ふほど 杉田菜穂
曾良ほどは歩かず風の冬すみれ  涼野海音
ややゆれて水を離るる今日の月  田島和生
どちらからともなく寄れり露の玉 藤勢津子
人絶えて薄にぎにぎしくなれり  森井美知代
門を出て風に吹かれし子規忌かな 山本洋子

詠み物からは、「私の好きな季語⑫『左義長』髙松早基子」を紹介したい。以前、御所(ごせ)に住んでいる彼女に、役の行者の生誕地「吉祥草寺」を案内してもらったことがある。役の行者は、金剛山・葛城山で、修行を積み、大峰山を始めとする全国の修験の山を開いた修験者の開祖である。この地で、毎年1月14日に、一基一トンはある雌雄の左義長が組まれる。
崩れては火勢を増せる大とんど  髙松早基子
読経の渦の中、火勢に煽られ、とんどの輪が後退つていく。火勢が鎮まる頃、雌雄のとんどの間を火渡りりし、火縄にこの火を頂いて帰り、翌朝の小豆粥の火種とするのである。
金箔の剥がれとびたる吉書揚   茨木和生
髙松さんは、書道家なので、「書初めの書の上達を願ってとんどの火に投じるのだが、赤く燃えながら、夜空にゆらりと舞い揚がると、思わず手を合わせてしまう。」とあった。
初空、初星、初日、初明り、初東雲、初茜、初晴れ、初景色、初山河、初声そして「初旅」・・・
年よりも若いと言われ初麗   和生
           やんぬるかな!
 

Posted on 2018/01/22 Mon. 14:10 [edit]

category: やんぬるかな

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22

遥照1月号(2018) 

                      DSC_3115.jpg
都合良き耳も生き方日向ぼこ       佐藤宗生
そぞろ寒む血管めぐらす人体図      花房柊林
文鎮の色なき風を押さへ込み       甲斐梶朗

放たれて宙を自在に草の絮        中西八千代
枝折戸を叩く夕風冬兆す           石津淡紅
電子レンジチンチン鳴って十二月       牧明子
軒時雨ぬくぬく重き膝の猫          竹地恵美
人の世のしがらみ解けぬ霙かな        山崎靖子
よろこびは生きていること秋の蝶       古川澄子
身体ごと悦んでゐる木の実独楽        森脇八重子
天空へ千木のびやかに神の旅        原房枝
もみじ苑丹の小橋を見失ふ          森靖子
まだ我に運あるらしい冬の虹         土屋鋭喜
一村も煙に包み秋収め            石井弘子
枯菊の色を残して刈られけり         井上和子
悦びは子よりの便り秋深し          大室瀧子
簪の揺れて悦ぶ七五三            山下和子
裸木となりていや増す凄さかな        山下卓郎
菊褒めて腕前誉める庭師をり         長畦恭子
学童の稲の脱穀脚踏みで           虫明有菜
風が風追ひ越してゆく芒原          南みどり

角界の話ばかりよ着ぶくれて         工藤泰子

 

Posted on 2018/01/07 Sun. 13:18 [edit]

category: 遙照

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07

やんぬるかな72 

☆やんぬるかな72  工藤泰子
前回は、第63回角川俳句大賞の句を紹介した。
今年の受賞は、ニューヨーク在住の月野ぽぽな(海程)さんの「人のかたち」であった。谷口智行さんの「秋津島」は、一位と同点(3点)にも関わらず、受賞には届かなかった。これまでの応募作品の、「薬喰」「西ようず」「森よ、」の底流を流れる世界は、どこへ行くのだろうか?「秋津島」は谷口さんの角川最後の挑戦だったそうだ。彼を理解するには、彼の句集や著書が手ほどきになる。以下、タイトルと帯文。
“豊穣の第一句集【藁嬶(わらかか)】”〈邑書林〉
土にまみれて働く熊野の「藁嬶」のような重みのある句集であるー茨木和生
 縫へと言ふ猟犬の腹裂けたるを
 盆の雨波止も男も湯気立てて
 冬ぬくし餅撒きとんと始まらず
“濃密な第二句集【媚薬(びやく)】”〈邑書林〉
今も熊野の地に繰り広げられている男の香(かざ)のする物語を体から出た言葉で紡いでいるー茨木和生
 目薬も媚薬も冷蔵庫にしまふ
 死者の辺へ十薬煮立てゐるかをり
 へばりつく少女はぎとる草相撲
【日の乱舞・物語の闇】〈邑書林〉
熊野二千年の光と闇を直視する先に熊野に生きる人々の素朴なる哀歓のつぶやきが聞こえる!
熊野のど真ん中で〈熊野〉を生きる著者が人間と神仏の混沌を語り尽す〈熊野学〉集成!
【熊野、魂の系譜】〈書肆アルス〉
”隠国熊野の表現者の聖地、シャングリラである。本書によってまた一歩、“魂の地”熊野が近くなった。”
歌びとたちに描かれた熊野と冠した三百頁にもなるこの本は、熊野曼荼羅とも言うべき世界だ。密林に迷い込むほどの文章の質と量に圧倒された。中でも、折口信夫(釋迢空)の「神は海からやってきた。」のマレビト信仰や、「水」に対する信仰が気になった。
「海から山へ、山から滝へ、川へ、山里へ、平野へ、そしてまた海へと巡る水。隔てられた神の世と人の世をつなぐ水・・・また大自然のすべての物に、神が宿ると信じられ、山、川、海、巨岩、巨木、動物、植物などに、自然現象では、火、雨、風、雷・・・・神を祀るいわゆる「祭」は、神と死者と生者の三者の交感の場であり、「踊り」は神や死者へのいとおしみの表現ということになろう。(跋文より)」
FBに彼の友人が描いた首に聴診器を掛けた「くまのん」のイラストが登場した。医者である彼だから、鈴ではないのだ。熊野の語り部「くまのん」の助けをかりたいものだが、私なりの【超訳】を試みた。
【国つ神その末裔として踊る  智行(秋津島)】
 国つ神とは天つ神に対して、日本の国土に土着する神。地神。踊る!盂蘭盆の前後に、年に一度この世に戻ってくる精霊を迎え、また送るのが、踊りだ。
死んでなるものかと踊りやめぬなり 智行(媚薬)
【風交じる雪か雪交じる風か 智行(秋津島)】
どちらであるかは、コロンブスの卵だが、どちらもなのである。神が交錯するところを詠んだ。
乳にほふ霙が雪に変はるとき 智行 「媚薬」
【木の股と根の国通じゐて涼し 智行 (秋津島)】
 ここでも熊野の語り部と、医者としての生命の考え方を伺うことができる。根の国とは、彼の世のことである。木の股は、生命の木が、分岐していくこと・。これは、紀伊の国の産んだ天才、南方熊楠の生命観と似ている。つまり宇宙はお互いに繋がっているのだと・・。涼し!とは、クリアー!と思った。
【まらうどに洪水吐きの夜滝見す 智行(秋津島)】
 まらうど、とは、客人(まろうど)のことだ。ここでは、土着の神でなく、その社会の外から来訪して、その土地にまつられた神を言うのではないか。著書『日の乱舞・物語の闇』の「うしお満つ」の中に、日本書紀の神武東征や熊野先住民のことが記されている。「神武東征記」では難波で長髄彦に敗れた東征軍が紀伊半島を迂回して熊野に上陸・・熊野先住民である「土蜘蛛」が行く手を塞いだが、八咫烏の先導によって大和への脱出に成功した。・・伝説が伝えるのは、熊野における縄文人すなわち先住民族と弥生人登場であるが次のように、締めくくられた。
「人間は変わっても、熊野・吉野の海や山河は変わらない。太古の地層が地下に眠っているように、僕たちの心の中には壮大なドラマの演じられた日本文化の古層が残っている」
洪水吐き・・この一度にどっと流れる滝、しかも夜の滝は、保水力を失った山河の悲鳴のように思えた。
滝壺を持たず千古を轟けり  智行 「媚薬」
時間てふ不思議なものを滝の前   佐滝幻太
【いかづちもをろちも霊(ち)なり秋津島 智行】
 ここでは、「ち」の音に注目しよう。千・父・血・乳・茅・日(にち)・家(うち)道・路・鉤・鈎・・地などがある。いかづちは、雷、神鳴りのことで、厳つ霊(いかずち)だ。おろちは大蛇でおは峰、ろは接尾語、「ち」は霊力、霊力のあるものの意味である。雲と大地の間の放電(いかづち)と生命体(大蛇)には「ち」がある秋津島、(大和国、日本国)なのだ! 
最後に土肥あき子さんの鑑賞文を紹介しておく。
神ときに草をよそほふ冬の月  谷口智行
漆黒の夜空に一点、うがたれたように光りをこぼす冬の月。あふれる月光はものの影を生むほどの明るさを持つ。月の光の下では草の葉や道端の小石、蛇口からふくらむしずくなど、どれも昼間には見えなかった美しさが備わる。「装う」とは外観を見せかけること。それは研ぎすまされた冬の月光によって、草や小石にそっと身を隠している神々の姿までも映し出してしまったかのようにも思われる。
さて俳人協会の大串章会長が新設した、第一回新鋭俳句賞が発表された。
なんと準賞には、高松の涼野海音さんの「初旅」が選ばれた。
父の日の切り岸を石落ちゆけり  海音
ゆふぐれの一木と春惜しみけり   〃
巧みな安定感が目立つと評された。新しい才能を見つける試みの先陣を切ったことを喜びたい。
         やんぬるかな!

Posted on 2017/12/15 Fri. 19:36 [edit]

category: やんぬるかな

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